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12月1日 イラン Tabriz / Hotel Morvarid (W45,000リアル)
                   建物内、レセプション脇に駐輪可

魚屋のにいちゃん。手にはざりがにを持って楽しそうだ
 タブリーズの街を歩く。
今日は金曜日で、イスラム社会では休日。だから街には家族連れの姿も目立ち、特にショッピングモール界隈はなかなか賑やかだ。歩いている女性はチャドルという黒い布を全身に纏っており、イスラムの国に来たんだという実感が涌く。
 まず手持ちのUSドルからイランリアルへの両替をしようと闇チェン屋(ブラックマーケットの両替屋)がうろうろしていると言われるMADANI通りへ足を運ぶ。すれ違った旅人から、最近は闇チェンより銀行の方がレートが良いと教えられていたのだが、今日は休みだから仕方がない。
 昨日みたいにまたぼられるのではという不安もあったのだが、運良く両替の助太刀をしてやろうというおじさんがついて来てくれ、一緒に闇チェン通りへ向かった。

 その通りに入ると、すかさず一人の男が寄ってくる。
   
   闇チェン屋 「ちぇんじまねー?」
   俺 「レートいくら?」
   闇 「いくら両替するのだ?」
   俺 「40ドルだ」
   闇 (電卓をたたきながら)「1ドル800リアルだから40ドルで32000リアルだ」

でたあ、必殺一桁ずらし攻撃!俺は男の電卓を奪って違うだろ8000だろとたたきかえす。男はさも間違えたように「あ、そうそう」と肯く。これはインフレの為に桁が大きくなっているトルコやイランなどの常套手口なのかもしれない。ただ8000というレート自体は、ホテルでもついて来てくれたおじさんからも同じ数字を聞かされていたので、その男から両替してやった(コミッション5000)。

ホテルMorvarid前にて 
おじさんは、両替の後もバザールを案内してくれたり、イランの地図を買うのに本屋まで案内してくれたりすごくやさしい、そして紳士。こういう人は、一目見て少ししゃべっただけで信用できるとわかるから、俺は案内されるがままにずっとついて行った。地図を買ったあと、俺が礼を言うと「何かあったらここへ電話しなさい。私の仕事先だ」といって連絡先を教えてくれた。見るとタブリーズ国立銀行となっている。この人銀行員だったのか、道理で身なりや物腰もちゃんとしてて、レートにも詳しかったわけだ。

イランに入ってから、やたらとじろじろ見られる視線(特に若い奴)に嫌気がさしている一方、このおじさんのように見返りを期待しない親切もすでに何回も経験した。
 昨日この街に入った直後に、宿の場所を聞こうと入ったメガネ屋ではいきなり茶とケーキをごちそうしてもらったし(おまけにメガネのネジ増し締めと洗浄も)、その後チェックインして飯を食いに外に出た時も、一人の若者が道案内してくれて食堂でメニューの解説やら何やら全部してくれた。
 そして今日、ケバブ屋で晩飯を食っている最中、後から入ってきたまた別のおじさんが、かなり流暢な英語でいろいろと話し掛けてきて、最後に「テヘランへ来たら電話してきなさい。私はここに住んでいるから」と名刺をくれた。聞けばこの人、7年間アメリカで勉強して医学博士号をとり、故郷へ帰って病院を経営しているのだという。おまけに俺のメシ代まで一緒に払ってくれて、さっとケバブ屋から姿を消した。なんと紳士な、カッコいいおじさんか!
 俺の中のイラン人像は今、むちゃくちゃうざい、程度の低い奴と、すごく礼儀正しくて親切な紳士とに二極分化しつつある。




12月2日 イラン Astara / Astara Guest House (Wシェア15,000リアル)
                   隣のアーケード商店街に閉店後駐輪可

わからんっちゅうに!
タブリーズを出発してさらに先へ向かう。
幹線を使ってテヘランまで、内陸を南東方向に一気に走るのが手っ取り早いんだが、そこは通らずに、西北西へ向かう国道をとった。こんなに近くまで来て、世界一の湖、カスピ海を一目見ない手はないだろう、という理由だ。カスピ海の南岸はイラン北部の国境線の一部になっており、タブリーズから約300キロ走れば、この日本と同じぐらいの面積を持つばかでかい湖を拝むことができるのだ。
 イランの地道を走る時、道はきれいに整備されていて問題ないんだが、問題は標識。第一級の幹線にはアラビア文字と同時に、悪くとも一つおきには英語で表示された標識があるのだが、すこしローカルロードになると、英語表記の割合が下がってくる。それもここにこそ欲しいという重要な分岐点にないこともしばしばで、そういう時は立ち止まってその辺にいる人に道を訊ねながら走った。しかしこれもけっこうコツが要って、あんまり人がたくさんいるところで立ち止まると、たちまち人垣ができてえらい騒ぎになってしまうので、人混みを避けながらできるだけ紳士そうな人を捜すのがポイントだ。

そんな感じで道を聞きながら走り続け、アルダビルという比較的大きな町を通り過ぎた頃から、道はどんどん下り始める。あんまり正確ではないと思うけど、60キロ走る間に2000m近く下ったんじゃないかな。
 その間のどこかの地点で1キロほどのトンネルをくぐった。そしてそのトンネルを出ると、景色がかなり劇的に変化してなかなか感動もんだった。どんな風に変わるかと言うと、山の色が茶色から緑色になるということ。トンネルの前は一面一本の草も生えてない岩山だったのが、トンネルを越えると山が一面草木で覆われているのだ。そしてちょっとした霧も発生しており、空気も急に湿っぽくなる。おそらくこのトンネルの両側で、イラン高原の内陸性気候とカスピ海沿岸気候に分かれているのだろう。それにしてもこれだけはっきりと気候と植生の変化を体感できる場所も珍しいんじゃないかな。

(左)ケバブを焼くオヤジ
右)客のオヤジ。今日一番うけたのだが、屋台で会った
このオヤジ、なぜか日本の女子高の体操服を着ていた 。
俺がこれはもともと女子高生の持ち物だったのだと教えて
やったら、オヤジは嬉しそうにしていた。→ネームの部分拡大図
第一女子商業高校の佐々木さん、どこかで見てたらメールください
 久しぶりの緑の中を下り続け、カスピ海沿岸、かつアゼルバイジャン共和国との国境にあるアスタラという小さい町に着いたのは4時過ぎ。50キロほど手前の検問所で出会った車の二人組みがアスタラに住んでいるというので、彼らの後ろに着いてゆき、ついでにホテル捜しまで付き合ってもらった。
 幾つか回ったホテルで一番安かった所にチェックインし、ロビーで休憩していると、もう一人日本人のパッカーが泊まりにきた。こんな辺鄙なところにはさすがにツーリストは来ないだろうと思っていたのだが、このホテルはけっこうパッカーが利用しているらしく、後で確認したら旅行人の「アジア横断」にも紹介されている。
 彼も典型的なアジア横断パッカーで、俺がツインの部屋に泊まっていると言うと、すかさず「シェアしていいですか?」と訊いてきた。これで今日の宿泊代が3万リアルから1万5千リアルに節約できるという訳だ。
 夜はそのパッカー、東からきた三浦君と一緒にケバブ屋台に行き、ラマザーンのおかげで空っぽになった胃袋を牛モツで満たしたよ。牛の肺、というのをおそらく初めて食ったがなかなかあっさりして美味かった。




12月3日 イラン Ramsar / Private room ? (二部屋35,000リアル) ガレージ有

地理の時間に習ったように、カスピ海は世界最大の湖。面積は37万平方kmで、日本とほぼ同じである。この湖は塩湖である。俺は塩湖と言うのは大昔海だったのが地殻変動で陸に封じこめられてできたものだと思っていたが、調べてみるとどうも違うらしい。内陸の盆地などに河川が流れ込んでできた湖が、気候の変化で周囲が乾燥地帯になるに従って水が蒸発し、もともと水に含まれている塩分が濃縮化されてできるという。走行途中に海岸へバイクを寄せ、どれどれと味見してみた。確かに塩水ではあるが、かなり濃度は低い。これだったら、よっぽどのどが渇いたら水のかわりに飲めるぐらいである。
 味は本物の海ほど塩辛くはないものの、その姿は海以外のなにものでもない。見渡す限りの水平線、そしてけっこう大きな波が寄せては返している。場所によっては嵐で航海ができなくなることもあるという。また今日俺が走った沿岸道路沿いには、海の家風の建物や、海水浴グッズを売っている店もけっこう見かけた。夏にはイラン人のリゾート地として賑わっているんだろうな。しかしシーズンをとっくに過ぎた今でも、店先に浮き輪やビーチボールなどががんがん陳列されてたのは何なのだ??
 もう一つ、カスピ海沿いの風景は、内陸のイラン高原とまったく違って、緑が多く、水田も目立つ。走っててふと周りを見渡すと、はっとするほど日本の田舎に似てたりして、郷愁をそそられたりするのだ。

ここのところずっと高いところを走ってたが、今日はほとんど海抜0m付近を走ったのでバイクは嘘のように快調に走る。ただしそれでも思い切り飛ばせないのはイラン人の運転マナーのせい。イタリアもひどかったがイランはそれに輪をかけてひどい。イランで特徴的なのは方向指示器をほとんど使わないこと。車線変更や発進・停車の際、何の前触れもなく急に来るから、注意してないとマジで事故を起こしそう。
 車道はほとんど無秩序状態なんだが、あえて秩序らしきものを捜すなら、それは「前方優先」の思想かな。けっこうスピードを出して直進してくる車があっても、前にいれば勝ち、てなもんでがんがん横から割り込みや右左折をしてくるのだが、そういう時は直進車は意外と文句を言わない。これは歩行者も同じで、何車線もある広い道路で車が通常のスピードで流れてるのに、平気で道路を横切っていく。傍目から見てるとこの人大丈夫かなと思うような危険な渡り方なんだが、車はあまりクラクションを鳴らしたりせずにスピードを落とす場合が多い。
 いずれにせよ強烈ですわ。これからパキスタン、インドと進むに従って、もっとひどくなっていくのかな?これからの道はテロや山賊なども気をつけないといけないけど、危険度としては地元のドライバーの方が断然高いと思うな。

ラムソールという町で宿を探してたら、車の中から男が声を掛けてきた。聞くとプライベートハウスのオーナーらしい。値段もそこそこだったので、そのまま彼の車の後について行ってチェックインした。この宿での話もけっこう面白いんだが、長くなりそうなのでまた明日書くことにするよ。
 


成長前(左)、成長後(右)。ほんまに成長してるんかい!




12月4日 イラン Tehran / Khazar Sea Hotel (W24,000リアル+駐車代10,000リアル)
                    中庭に駐輪可
(昨日の続き)
イランに欧州で言うB&B,またはプライベートルームみたいなのがあるとは知らなかった。彼の車についてカスピ海岸沿いまで走り、岸辺に沿うように並んでいる住宅地の前をしばらく徐行したら到着した。3階建ての大きい立派な家で、一階部分には車3台も置けるかという駐車場がある。彼の家だけでなく、このあたりの家は軒並み立派で、住んでいる人もなかなか上品そうだ。
 俺は3階のいちばんデラックスな部屋を選んだ。ここは40,000リアル(交渉して35,000リアルにしてもらう)。2階にはもう一つ20000リアルの部屋があるんだが、3階の部屋はけた違いに広くて快適だし(二部屋ぶち抜きになっていて一つが寝室、もう一つがリビング)、なによりも気に入ったのは、バルコニーからカスピ海が一望できる事。これで500円弱で泊まれるのなら安いもんだ。

チェックインはしたもののまだメシを食っていない。ラマザーンだから朝ホテルの部屋ででパンを食って以来何も口にしていないので腹ぺこだ。近くの食堂はどこかと訊ねると、宿のオヤジは「それなら一緒に食おう」と家族の食卓に招いてくれた。
 彼の家族は奥さんと一男一女。息子も娘もなかなか気さくでメシを食いながらいろいろ話をした。オヤジは英語の先生で(それにしてはかなり怪しげな英会話だったが・・・)宿経営はセカンドビジネスだそうだ。奥さんは看護婦で、俺達がメシを食っている最中に帰宅してきた。息子は大学生、娘は高校生、印象ではイランでは中の上、または上の下ぐらいの生活水準だと思う。メシ自体はナンと米、コロッケ、チーズぐらいだったが、なにより一緒に食って話ができたのが楽しかった。

 メシを食ってから、オヤジと息子と一緒に近くのチャイハネ(茶を飲みながら水煙草をふかす茶店)へ行き、さらに色々話した。息子が自分で語ったのだが、自分は元々優等生で学校の成績も良かったんだが、一年前ちょっと遊びすぎて大学の試験に落ち、うつ病的状態になったらしい。その後精神科医にかかって薬も飲んで、今はほとんど良くなって大学も受かったから、現在はまあまあハッピーだという。
エルブルズ山脈の中央部
見ただけで寒くなりそう。でもすごく美しかった
オヤジもかなり息子を気遣っているようで、息子がわがままを言ってもけっこう好きにさせているようなところがある(実はこれがあんまり良くないのかもしれないけどね)。でも息子とオヤジが一緒にチャイハネで水煙草をフカすなんてなかなかほのぼのとしていい関係だと思ったよ。

 ずっと昨日のことを書いてしまったけど、今日はRamsalのこの宿を出発して、Chalusという町までカスピ海岸沿いに100キロ弱走り、そこから一気に南下して首都テヘランまで来た。Chalusまではほぼ海抜ゼロメートルだが、そこからテヘランまでが思いがけなくハードな道のりだった。地図を見た感じではそんなでもなかったんだが、実際走ってみると強烈な山道で、なんと最高地点で標高3000mまで上がってしまった。これはGPSが示したChalusからテヘランまでの直線距離が100キロ程度なのに、実際に走った距離は200キロだったという事でも良くわかる。
 標高3000mを走ると言うのは車、バイクを通じて初体験だった。なんぼふかしても時速40キロにとどかない。周囲は一面真っ白、そして路面は凍りまくって怖いし、なにより死ぬほど寒かった。こんなとこでコケてバイクが動かなくなったらえらいこっちゃと、緊張しながら約3時間、慎重にとろとろと走った。テヘランに着いて宿に入ってから地図で確認したら、エルブルズ山脈という、イラン有数の大山脈(最高峰はダマーバンド山:5670m)のど真ん中を縦断してたことを知り笑ってしまった。




12月5日 イラン Tehran / Khazar Sea Hotel (W24,000リアル+駐車代10,000リアル)

 Bank Melli Iranといういちばん大きそうな銀行に両替に行く。最初は手持ちのUSドルを替えようと思ってたんだが、マスターカードでのキャッシングができるということなので、そうする事にした。USドルは現金で500ドル強持っているんだが、今からパキスタンまで何が起こるかわからないし、手持ちのドルをセーブできるならそれに越した事はないという判断だ。それに今、リアルに対してドルが一時的に落ちているというのもある。(ちなみにシティバンクなどのキャッシュカードはイランではほとんど使えないと思う)
 キャッシングの手続きをしたのはいいけど、仕事がトロい上に金額を間違えられて(120ドルと言ったのに100ドル分しか渡されなかった)、結局1時間半も待たされた。空腹も手伝ってさすがにイライラしたな。

 待っている間に、何人ものイラン人から日本語で話し掛けられた。ここだけではなく、昨日テヘランに入ったときも、そして銀行を出てバイク屋街を歩いたときも、もうひっきりなしに日本語使いと出会う。これらの日本語使いは、以前日本に出稼ぎに来た事のある人間で、東京とか茨城とか浜名湖とか奈良とかで数年に渡って住んでいたという。多くはかなり上手に日本語を話す。
 彼らはとても親日的で、純粋に親切心からいろいろ教えてくれたり、「なにか問題があったらここに電話してきて」と電話番号をくれたりする。旅行人のガイドブックにも書いてある事だが、日本語をあやつるトルコ人が裏で何か企んでることが多いのとは対照的に、イラン人の日本語使いは信用できそうというのは納得できる。一度この人たちと飯でも食いながらゆっくり話してみたいもんだ。

さんざん待たされて百万リアル近い大金?を手にした後は、ゴムロックと呼ばれるエリア周辺に広がるバイク屋街へ向かう。イマームホメイニ広場から約5キロほどで、乗合タクシーを使えば1,000リアル(10円ちょい)。笑うほど安い。
 イランには主に125cc以下のバイクが雲霞の如く走っていて、当然ながらバイク屋も数多い。ただ、俺がここに来た目的であるスプレー式のチェーンオイルを置いてる店は一軒もなかった。ていうか、どんなに身振り手振りで「チェーンのスプレーを買いたい」と言っても誰も分かってくれないのだ。挙句の果てには「それならこれがピッタリだ」といって塗装スプレーを手渡された。チェーンに塗装してどないすんねん!
 二時間ほど探し回って、テヘランのバイク屋にはスプレー式のチェーンオイルは置いてない事、そして彼らが俺の言う事を分かってくれなかったのは、イランでは専用スプレーでチェーンを保護するという概念自体がないからだと言う事が分かった。 分かったけど疲れ果てた




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