11月26日 トルコ Erzurum / Hotel Akcay (6,000,000リラ)
ホテル前の駐車場に駐輪
新規開店の肉屋さん。トルコでは開店の際、日本と同じような
花輪が関係者から送られてくるようだ。珍しそうに眺めてたら、
中に呼ばれてチャイをご馳走になった。写真中には、イスラム教徒、
ユダヤ教徒、キリスト教徒、仏教徒(おれ)がいるトルコってヨーロッパなのかアジアなのか良くわからないが、歩いている人の顔を見るとそれはもう本当にさまざま。ヨーロッパ系、アラブ系、クルド人の独特な濃ゆい顔もあるし我々と似たモンゴリアン的な顔だって見かける。ただ現代トルコのベースとなる民族は11世紀ごろ中央アジアからやってきたらしい(セルジュク王朝)。
時々トルコ人に「お前の国はヨーロッパかアジアかいったいどっちなのだ?」という質問を投げかけているのだが、アジアだと言う人は、この「大昔に中央アジアから来た」というのを根拠にしている。ちなみにヨーロッパだと言う人間は、(トルコ以西、以南の国に比べて)宗教至上ではなく、テクノロジーも発達しているからという理由を述べるが、それだったら日本だってヨーロッパじゃないかと反論したくなる。話の最後に俺が「ヨーロッパでもアジアでもない、トルコはトルコだろ」と言うとどちらの側も嬉しそうに笑ってくれるけどね。
しかし実際問題としてトルコをヨーロッパと言うのにはかなり無理があるように思える。町じゅうの至る所に立つ露天市、十分すぎる程たくさんある大衆食堂、うざいほどに(それもからかい半分で)声を掛けてくる客引きやガキどもなど、どれをとってもアジア的要素の割合が高いように感じる。
そして決定的にヨーロッパ諸国と違うのは街並みだ。俺が見てきたヨーロッパは、いくつかの例外はあるにせよ、基本的にはどんなに小さい町にもそれなりの統一性が感じられた。なにかそこに住む住民による街づくりに関する暗黙の合意事項があるような−もちろん法律、条例による最低限の規制はあるのだろうが、さらにそれに加えて自発的にという意味で−そんなコミュニティ毎の統一感をヨーロッパの街歩きでは楽しむ事ができた。
ところがトルコではそれが感じられない。あのイスタンブールでさえ、俺はヨーロッパ的なものをあまり感じなかった。なるほどイスタンブールは美しい。夕日に映えるボスボラス海峡からの眺めなんて最高だ。しかし町なかを歩いてみると、統一性を持った美しさというのではなく、各ポイントで美しいのだ。これはむしろ、京都で八坂神社や金閣寺はすばらしいが京都の街全体としてはなんも面白くない、というのと似ている。文化的にトルコと多くを共有していると言われるギリシャでさえ、俺には両者が全く異質なもの見えた。これは、俺にとってはキリスト教とイスラム教という宗教の違いよりも大きな差に思えたんだが・・・
話がかなり極端になってしまった。このことは、俺がヨーロッパを先に回ったからそんな印象になったのかもしれないし、これが東からやってきた旅人ならまた全然違う印象を受けるだろう。もひとつ断っとくと、だからトルコはダメと言ってるのではない。俺はこの混沌とした空気が大好きだし、ヨーロッパにはない活気を感じる。ヨーロッパはヨーロッパで、自らの共同体と歴史に縛られてさぞ窮屈だろうなと思った事もあったよ。
トルコは今、EU入りが念願のようだが、もしEUがこれを認めたら、俺は「いよっ、太っ腹!」と拍手を送りたいね。
11月27日 トルコ Erzurum / Hotel Akcay (6,000,000リラ)
トルコの両替屋に掲示されていた
対1USドル推移。
縦罫は年度、横罫は月。
なんでここまでなるの?
トルコで目に付くのが男同士で腕を組んであるいている姿。こんなのはこれから先のイスラムの国では当たり前なのかも知れないが、初めて見ると「なんだこいつら、ホモか?」と思ってしまう。
男同士の次に多いのは女同士、次は大人と子供、最後に男女のペアだ(たぶん夫婦)。
イスラム社会は男社会。脱イスラム志向のトルコでさえ、公衆の面前で男女がいちゃつくなんてのはほとんど見たことがない。トルコの男に聞くと、例外はあるにせよ一度やったら結婚するのが普通で、彼女選びは慎重にならざるを得ないらしい。「日本もそうなのか?」と聞かれて「昔はそうだったけど、今はそういう空気はあんまりないよ」と言うと、ふーんと神妙に何か考え込んでいた。
これはもちろんイスラムの教えに基づいているのだが、面白いのは、トルコの男はトルコの女にだけこの教えを適用して、他宗教の女に対してはこういう慎重な態度を取らないようだ。理由はもちろんその女が他宗教だからだ、宗教ってのは本来自分の心持ちを規定するもんだと思うんだけねえ。
イスタンブールで、旅行会社やホテル、土産物屋、絨毯屋などかなり多くのトルコの男から「おれは日本人の彼女がいるぞ」と自慢された。はったりも多いだろうと話半分に聞いていたのだが、中にはその彼女からの写真や手紙、果ては最近届いたE-MAILまで見せてくれたりして、それを覗くと、こいつの言ってることは嘘じゃないという内容もけっこう多い。ほとんどがトルコに旅行に来た日本の女をひっかけるというパターンだが、その根底には、イスラム教徒にはうかつに手をだせないが、異教徒なら何をやったっていい、という思想も見え隠れしているようにも思える(もちろん全てじゃないよ!)。ただ、俺は別に日本の女が騙されているとは思わないし、逆にトルコの男が遊ばれているのかも知れない。日本の女は賢いからねえ・・・
今日(は)シティバンクのキャッシュカードを紛失してしまった。
ATMで金はゲットしたのががその後にカードを取るのを忘れてしまったのである。あいかわらず間抜けである。
今日からラマダン(断食月)も始まった。こっちの人は「ラマザーン」と発音するけどね。
ラマザーンは夜明けと共に始まって日没で終わる。だからこのあたりでは4時にはみんな食べ始めるのでそれほど苦痛ではなさそう。日没とともにロカンタや茶店が開店して、それから二時間ほどはかなりの盛況になる。
今はイスラム歴の9月にあたって、この月にムハンマドが神の啓示を受けたためこの月がラマザーン(神聖月)となっているらしい。しかしイスラム歴は太陰暦で、一年が354日か355日だから、季節的にだんだんずれてくる事になる。ここ数年はは日が短い季節がラマザーン月になってるからいいけど、これが太陽暦でいう6月とか7月に回ってきたら、みんなさぞかしつらいだろうな。
11月28日 トルコ Erzurum / Hotel Akcay (5,000,000リラ)
今朝めでたくイランのヴィザをゲット。種類はツーリストヴィザ。二ヶ月有効の滞在期間は3週間。これだけあれば通過は余裕を持ってできるだろう。25日に申請したから3日で取れたことになる。10日ほどかかるイスタンブールやアンカラよりも、現状ではこのエルズルムの領事館がマッチベターだ。ただ、ここは係員のレスポンスがあんまり良くなく、呼び鈴を押してもしばらく待たされたりするのがたまに傷だが、まあたいした問題ではない。
しかしたいした問題が見つかった。ホテルの部屋に戻って確認したら、もらったビザの券面に記載されている俺のパスポート番号が間違っている!あわててまたイラン領事館へ引き返し修正してもらった。
この領事館は見る限りけっこうヒマそうで、訪れる人間もそんなにたくさんいないし、カウンターの内側はイラン人の子供が走り回ったりしててすごいのんびりムード。忙しくないからかえってイージーミスを起こすのだろう。俺も、昔学生の頃居酒屋でアルバイトしてたが、客が少ない時ほどよくオーダーを間違って店長に怒られてたしね。
そんな感じでバタバタしてたから、本当は朝にヴィザをもらったその足で国境方面へ向かおうと思ってたんだけど、気が付けば昼を過ぎていて、今から走り出しても日没は4時前だからそんなに走れないし、ラマザーンのため朝から飯を食ってなくて腹もペコペコになってたので(別に仏教徒の俺が付き合う必要もないんだが)、もう一日だけエルズルムにいる事にした。
昨日キャッシュカードを無くして、もう現金が引き出せない。手持ちのトルコリラは次のイラン入国に備えてほとんどUSドルに再両替してしまったので、あと二日トルコで過ごすのにぎりぎりのトルコリラしかない。USドルを再々両替するという手もあるが、そうすると円→リラ→ドル→リラということになり目減りしまくってアホらしいので、これから二日は倹約生活をすることに決定。手始めに今日4泊目になるホテル・アクチャイに「4泊もしてるからもっと負けろ」と迫ったら、600万リラから500万リラになった。メシも今まで3品ほど頼んでたのを、一品だけにしてサービスでついてくるパンを食いまくる。なんかわびしいぜ!
エルズルムへ来てから、4日連続でインターネットカフェへ通っている。初日に、今旅行ではじめてLAN接続に成功したからだ。これができるなら、わざわざホテルで高い電話料金を払ってダイアルアップ接続する必要はない。トルコでのインターネットカフェ料金は大体一時間60万リラ(約90円。イスタンブールでは100万リラほど)でこれなら2〜3時間いたって懐を心配する必要はない。だからWEB更新やメールの送受信をしたあとも、ネットサーフィンをして友達のHPをチェックしたり、ニュースを読んだりして充実したインターネットライフを楽しむ事ができるのだ。
おれのパソコン、メビウスX-4にはLAN機能が内臓されていて、特別にLANカードを買わずとも外部のネットワークに入ることができるはずなのだが、ヨーロッパでの何度かのトライではことごとく失敗に終わっていた。でも今回改めて説明書をよく読んで設定をやり直してみると、あっけないほどに簡単にカフェのネットワークに入ることができた。入った瞬間、そのカフェにくっついていたコンピュータウイルスまで入ってくるというおまけつきだった、前回(4月にスペインでウイルスをもらって苦労した事)の教訓を活かしてNortonアンチウイルスソフトを常駐監視させてたから、これは簡単に撃退できた。
11月29日 トルコ Dogubayazit / Hotel Urartu (4,500,000リラ)
物置内に駐輪可
途中で出会ったトルコ軍の面々。
彼らもバスで東部国境へ向かう途中だった一日延びたが今日晴れて出発。300キロ弱走ってイラン国境まで35キロ地点のドゥバヤジットという町に宿をとった。ここでのホテルも、エルズルムの時と同じように、数日前シワスで会ったXR600中川氏に教えてもらったバイクを格納してくれるホテル・ウラルトゥを訪ねた。値段交渉も、これまたエルズルムの時と同じように、最初は700万リラの提示だったが、俺は中川氏から聞いてどこまで下げてくるか知ってるので、強硬に450万を主張して受け入れられた。値段の割にはなかなか広くてきれいなホテルだが、頻繁に短時間の停電が起こるのが難点だな。
今日の走行でもそうだったが、トルコの街道ではしょっちゅう検問をやっている。国境から遠い地域の検問所では、止められるのはほとんど国内の車だけで俺は素通りさせてくれたが、東部になってSIVASを越えたあたりから俺も止められるようになってきた。二言三言しゃべって俺がただのツーリストであることがわかると、彼らはとてもフレンドリーになってパスポートチェックなどされたこともないが、このモノモノしい警備体制にはちょっと驚かされる。検問をやっている主体も、国境から離れたところでは警察だが、今日最後にひっかかった検問所は軍が取り仕切っていた。あと、検問所ではないが、街道沿いには数十キロ間隔で軍の駐屯所があってものものしさに輪をかけている。
ドゥバヤジットから望む大アララット山 ドゥバヤジットへ近づくにつれ、左手に大きな山が姿をあらわしてきた。アララト山だ。
アララト山は、トルコ・イラン・アルメニア、三国の国境地帯にある山でもちろんトルコ最高峰。 大アララト山(5,137m)と小アララト山(3,914m)があり、どちらも上の方は雪で覆われている。
アララト山は、旧約聖書で「ノアの箱舟」が漂着した場所とされており、実際に舟の木片を発見したという報告もある。しかしだ、こんなところに箱舟が漂着するほどのものすごい洪水が過去にあったとは俺にはとても考えられない。なぜなら、俺が今日通過したアララト山の麓だって標高1500m以上ある山地だし、いくら世界で洪水伝説が共通にあったとしても、さすがにここまで水は上がってこないだろう。
もう一つ考えられる可能性としては、実は箱舟には、ノアの他にも何人か仕切り屋さんがいたのかもしれない。「船頭多くて船山に登る」ってね。失礼しましたっ
11月30日 イラン Tabriz / Hotel Morvarid (45,000リアル)
ドゥバヤジットの街並み。住民の多くはクルド人だ ドゥバヤジットを出発して35km、ギュブラックというイランとの国境に至った。
イミグレーションは今まで越えたどの国境よりもごちゃごちゃしていて、また手続きも煩雑。これはもともと予想してたからイライラする事もなかったが、あんまり煩雑すぎて、今日の出来事ながらもうよく思い出せない。
まずトルコ側では、イミグレで出国スタンプを押す前に、数百メートル手前の検問所で事前チェックをする。トルコ入国の際に渡されたバイク関係の書類(多分)を渡し、かつナンバープレートを照合する。そしてそれがOKになった後、出国審査のイミグレに向かった。
出国審査では、イミグレとカスタムの窓口を三つ回った。どこで何をやったかはもうよく覚えていないが、指示の通りにおっさんとおばさんとおにいさんの所を回り、そのどこかで出国スタンプを押してもらった。
出国審査が終わると、バイクを押して国境を越え、たぶん同じ建物内にあるイランのイミグレで入国審査。これも確か2つか3つほど回って、そのどれかの段階で入国スタンプを押された。その後向かいにあるカスタムの建物でカルネ(バイクの一時輸入を免税にする手続きを簡素化する書類)を切ってもらい、バイクのナンバプレートと車体番号を照合して、やっと開放された・・・と思ったら実はまだ開放されてなくて、イミグレの建物から2キロ程走ったところにまた検問所みたいな建物があって、そこでパスポートとカスタムでもらった半券を見せる。するとそこでまた別の用紙を二枚もらい、さらに1キロほど先にあるまたまた別の検問所でその用紙のうち一枚を渡した。これで本当に終わった。
一つあたりの窓口ではそれほど待たされることはなかったが、どの建物のまわりにもうさん臭そうな両替屋がうろうろしていて、建物内で手続きを進めているあいだ、常に置き去りにしているバイクが気になって仕方がなかった。
イラン領に入っても雪景色はつづく 国境を越えてしばらく走ると天気が崩れ始め、ついに雨になった、標高1500〜2000mで雨に降られたら強烈に体が冷え込む。ほとんど死にそうになりながらホテルのありそうな町を求めて走りつづけるが、ここはすでにヨーロッパではなくイランの荒涼とした高原。そんなに簡単に見つかるはずもなく、結局雨に打たれながら、当初の目的地、タブリーズまで300キロ強を走り切った。その間休憩したのは、国境から100キロほど走ったイラン軍の検問所で焚き火にあたらせてもらったぐらい。今日はマジで走るのがイヤになった。でも雪ではなかっただけまだ幸運なのかもしれないな。
今日が最悪の日だった訳はまだたくさんある。
今日は走っていて3回も危害を加えられた。一回目はドゥバヤジット出発直後、路上で小物を売っていたジジイがいきなり杖でバイクをしばいてきた。なんじゃあと思って睨み返したら、隣にいた男がジェスチャーで「こいつは頭がおかしいからほっとけ」と合図したので気にせずそのまま走った。
二回目はイランボーダーまであとわずかという地点で、羊飼いの子供が手に持っていた木の鞭を走っている俺に向かって投げつけてきた。これは当たらなかったので俺も無視して走りつ続ける。
3回目はイランに入って数キロほど走ったところで、これまた歩道を歩いていたガキが思いっきり石を投げてきた。斎藤雅ばりのサイドスローで投じられた剛速球はどこかわからないが走っている俺のバイクに命中し、これにはさすがに俺もむかついた。捕まえてやろうとバイクをUターンさせたが、ガキは走って路地に逃げ込んでしまった。
バイクには傷もついていないしこんなことに目くじらたてる必要もないんだが、なんか気になるのは、二人の子供の表情がおふざけとかじゃかった事。どちらも投げつける瞬間を見たのだが、二人とも目がキッと怒っていた。わけもわかってない小学生程度の子供がなぜバイクの外国人に悪意を持つのか、石が当たった事よりもこのことに少なからず衝撃を受け、かつ考えさせられた。
今日はまだあるのだ。トルコ側の国境で闇両替屋にボラれた。
バイクに乗ったまま出国審査はどこだとうろうろしていると、一人のおっさんが寄ってきて、トルコリラをイランリアルに替えるぜと言ってきた。持ってたトルコリラは7百万リラで約1000円だけだったし、まあいいかとおっさんが説明するレートもあんまり聞かずに手持ちのリラを渡した。おっさんは電卓で計算して俺に見せ、11000リアルを俺に手渡した。俺はこれからの出入国手続きの方に神経が行ってたので、よく確認もせず金をポケットにしまいこんでイミグレに向かった。
しかしその後チェックインしたホテルで確認すると、これは正規のレートのなんと1/10だったのだ。おっさんは俺がレートをあんまり把握してないと踏んで一桁少なく計算していたのだ。金額は小さいものの、これは今旅行で初めてまともに「してやられた」出来事になった。地団太踏んでも時既に遅し。
も一つあるぞ。イランに入って初めて給油した際、ガソリンを1リッター以上も大量にこぼしてしまったのだ。なんでかというと、給油ノズルにセンサーによるストッパーがついていなかったから。
日本でもヨーロッパでも、給油して満タンになると、タンクに突っ込んでいるノズルがタンク内のガソリンを感知して勝手に給油が止まるようになっている。ストッパーのないノズルなんてここ数年来見たことがなかったから、今までの調子で計量機のメーターを見ながらがんがん給油していた。11、12、13リッターとメーターはすすむ。14リッターまでいって、あれこんなに入るはずないぞと思った時にはまたまた時既に遅し、「ごぼごぼごぼ」と大量のガソリンがタンクから流れ出し、バイクをガソリンまみれにしてしまった。
出入国でのバタバタ、ガキどもの攻撃、両替屋のサギ、給油のオーバーフロー、そして身を凍らせる雨と、一つ一つはたいしたことないけど、それが積み重なってたぶん今旅行最悪の部類に入る一日で11月を締めくくった。12月は楽しい月でありますように。
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