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11月21日 トルコ Urgup / Yildiz Hotel

 実は昨日今日と、ツアー会社の手配旅行を利用している。イスタンブールのホテルで、たまたま客として宿泊していたその会社の社員と仲良くなり、イランヴィザ取得の情報を調べてもらったり、カッパドキアに住む彼の知り合い宅に実家からの荷物を送らせてもらったりと世話になりっぱなしだったので、お礼代わりに使ったという訳だ。
 中身はホテル二泊、朝夕食2回ずつ、昼食込みのカッパドキア一日ツアーで値切り倒して80ドル。イスタンブールで申し込んだツアーは馬鹿高いという悪評があるが、俺の場合は価格的にはそんなに馬鹿高ではなさそう。だが内容があんまり良くなかった。だからコストパフォーマンスからいけばやはり馬鹿高と言うことになるのかも知れないな。

 まずは夕食。俺はてっきりホテルのレストランで食うのかと思ってたんだけど違った。彼の会社がツアー催行を委託しているまた別の現地ツアー会社まで行くように指示され、その通り訪ねてみたら、食事はその会社の隣のレストランで食わされた。まあ泊まっているホテルも、ホテルというよりホステルといった方がいいような宿だから、まだ外で食う方がましなのには違いなんだけどねえ。
 そして昼間のツアー。この日はギョレメ村の屋外博物館と近場の観光というプログラムだったのだが、ポイントとポイントの間に、土産物屋やら、宝石、陶器、絨毯の各工場+ショップに連れて行かれた。実際に職人が作っている所を見ることができるので、面白いといえば面白かったんだが、そのあとは必ずショップに連れて行かれておひとつ如何という流れになるので、なんかツアー会社と工場のもたれあいが見え見えであんまり愉快ではなかったな。
(それでも一緒だったアメリカ人グループは、絨毯やら宝石やら、やたら買いまくってて、ツアーの後すごく喜んでたけどね。それともう一つ言っとくと、各工場+ショップ自体は、かなりちゃんとしたまともな店だと、素人ながらも思ったよ。俺も欲しいなと思う絨毯とか皿とかあったけど、このガイドにコミッションをやるのが面白くなかったから結局何にも買わんかった)

 そんなもう一つ気乗りしないツアーだったんだが、ギョレメ谷に奇岩群の景色には感激したね。太古の火山活動と侵食によってできたという変な形の岩石が谷じゅうに林立している。そしてその幾つかは中がくり貫かれていて、住居のようになっている。説明によると、4世紀ごろからキリスト教徒がここに住み始め、洞窟内に教会や民家を造ったらしい。洞窟内には当時のフレスコ画や幾何学模様がかなり良い保存状態で残されている。
 カッパドキアは行った人みんな素晴らしいと言うけど、ほんとにすごいわ。

カッパドキアの奇岩群には度肝を抜かれる




11月22日 トルコ Goremel / Keles Cave Pension (3,000,000リラ)

 昨日泊まっていたホテルから10キロほど走って、ギョレメ村の中にある洞窟ペンションに泊まってみた。
ギョレメ村には岩石をくり貫いて作った洞窟ホテルやペンションがたくさんある。俺はKelesCaveペンションという、すこし村のはずれにある安宿に入った。ドミトリー部屋は洞窟なんだが、壁という壁はキリム(トルコの平織りカーペット)で覆われているので言われなければ洞窟とはわかりにくい。階上へ行くと、広いベランダに丸テーブルが幾つか置いてあってくつろげるようになっている。ちょっと小高い丘の上にあるので、ギョレメの奇岩群が眺め渡せてなかなかいいロケーションだ。この時期はすでにオフシーズンなので宿泊客も俺のほかにオランダからのパッカーが一人いるだけだ。
 宿はオヤジと息子二人でやっているようで、オヤジはなかなかフレンドリー。息子も良く働いているし、なかなか感じのいい宿だと思うよ。俺はチェックインして早々、シャワーの取っ手をぶち折ってしまったが、オヤジは笑って「明日交換するさ」と流してくれた。
(左)デリンクユの地下都市。狭い通路 (右)途中で道を教えてくれた兄妹。
だれにも真似できないような笑顔がずっと瞼に焼き付いている
 チャイを飲みながら色々話をしたが、「隣の棟が今遊んでるので、一緒にやらないか、儲かるぞ」となかば真顔で持ちかけられた時は驚いたね。「旅行しながら考えとくよ」と軽く流したんだが、「そうか、じゃあ日本に帰ったら手紙をくれ」と名刺を渡された。なんだこのオヤジ、本気なのか?でもカッパドキアで安宿経営なんて、案外面白いかもしれないな。

 宿で一服してから、カッパドキアのもう一つの名物「地下都市」見学へ行く。
地下都市とは文字通り、地下に迷路のように張り巡らされた都市跡のこと。カッパドキアには幾つか地下都市があるが、それぞれに数千人から数万人が暮らしていたという。地下19階まである都市もあるらしく、地下都市と地下都市は、地下で繋がっているなんて話もある。その起源についてはまだよくわかってないらしい。
 俺が行ったのは、一番ポピュラーなデリンクユの地下都市。ギョレメからバイクで約30分南へ走ってデリンクユ到着。デリンクユ自体はなんの変哲もない、小さな「地上都市」だが、町のほぼ中心にある地下都市の入口にチケットを買って入って行くと、これまた昨日と同じく大感動。なかなか形容のしようもないが、小学校の時理科の時間に、縦に細長い透明のケースで見たアリの巣と共通するものがあったな。
 オージーとドイツのパッカーと3人であっちでもない、こっちでもないと、地下1階から7階まで、通路という通路を探検しまくった。なかには匍匐前進でやっと進めるぐらいの小さな通路もあって、全員土でどろどろになったな。でも面白かった。




11月23日 トルコ Sivas  / Hotel Faith (7,000,000リラ)

夕方には太陽が真後ろから当たって、平原が黄金色に輝いた
 カッパドキアは一週間いても飽きないと思うけど、悲しいかな時間がない。トルコ東部の冬は既に始まっているし、早くそこを抜けてしまわないとトルコで越冬する破目にもなりかねないからね。
 10時にチェックアウトして今日は約300キロ。強烈に天気がよくて、またまた走ってるだけで機嫌が良くなる絶好のツーリング日和。標高も1000〜1300m程度だったので寒さもそれほど苦痛にならなかった。
 さまざまに移り変わる景色も目を楽しませてくれる。道はまず奇岩群の中を通り、続いて立ちはだかる岩山の谷間を縫うように走り、夕暮れ際には広々とした平原をまっすぐに突っ切って今日の目的地Sivasへ向かった。

 Sivasに着いて宿を捜そうと宿屋街にバイクを乗り入れる。Sivasはそこそこ大きな町で、宿もかなりぎょうさんある。最初アタックした宿は満室だったんだが、その真向かいにも小ぎれいそうなホテルがあったので、値段を聞いてみようと通りを渡って玄関まで行くと、玄関先にXR600が停まっていて、ロビーにはバイクジャケットを着たひげ面のでかい東洋人が立っている。最初俺は日本人とは思わなかったんだが、よく考えてみるとバイクで旅行しているモンゴロイドなど日本人以外にあんまりいないだろう。俺がロビーで値段を聞いていると、彼の方から声を掛けてきてくれた。彼、中川氏はこの旅行で初めて出会った日本人バイクツアラーである。すでにここにチェックインしたというので、俺も同宿することにした。
 XR600の中川氏は、8月に南インドをスタート、パキスタン、イランと通過してつい最近トルコに入り、これからヨーロッパに向かうところのようだ。
 チェックインして服を着替え、近所のロカンタ(大衆食堂)で飯を食いながら色々と情報交換した。彼のルートは俺とちょうど逆になるので、お互いに今まで走ってきた経験談は非常に役に立つ。バイクの置ける宿や各国の道路状況、危険地帯、保険関係、うまい飯屋の情報など、結局5時半頃から夜中の3時近くまでずっとしゃべってたな。
 それにしても、この広いトルコ、というよりユーラシア大陸で、偶然同じ日の時刻に同じホテルへチェックインするなんて、ホントすばらしい偶然に感謝だな。それとも確率的に何ヶ月に一回かは会うぐらい、日本人ライダーはたくさん走ってるのかな?




11月24日 トルコ Tercan  / Otel  Kervansaray (5,000,000リラ)
 
Zara周辺の景色。
遠くの岩山は、空の色と溶け合って青くなっている
昨日の夜更かしで朝起きるのが辛かったが、日没が早くなってるので(今ここの日没時刻は4時過ぎ)早くスタートしないと距離が稼げない。がんばって8時に起き荷造りし、中川氏にあいさつして9時半ごろに出発した。今日は約450キロ先のエルズルムまで走りたい。ここにイラン領事館があり、おれはここでイランビザの申請をするつもりなのだ。
 
 しかし今日は昨日と違って寒い。高度は今日は最高で2200m地点まで上った。そこまで来ると周囲は銀世界。幸い車道に雪はなかったが、道路は凍結していて運転も慎重にならざるをえない。平均的にも1300m〜1800m付近をうろうろする感じで昨日よりは一段高いところを走っている勘定になる。
 バイクは高度が上がるにつれ空気が薄くなってスピードが出なくなり、標高2000mに近づいてくると時折ごぼごぼと息継ぎが起こる。燃費も極端に落ちる。一方俺の体も、寒さのためたびたびガソリンスタンドやロカンタに寄って暖をとったり飯を食ったりしないとやってられなかった(寒いとやたらと腹が減るんだな、これが・・・)。そしてそんな何回かの小休止が響いて、目的地にあと100キロという所で日没となってしまったというわけだ。
 この寒さ、そして日没後に凍結した路面を走るのはあまりにも危険だから、エルズルム入りは翌日に持ち越すことに決めた。

トルコのガソリンスタンドはまだ有鉛が中心のようだ。「Normal」と書いた黒色のノズルは多分有鉛だろう。「super」と書いた高オクタンのガソリンも有鉛。無鉛は緑のノズルの「kru〜」と書いてあるやつだ。
あとトルコのガソリンスタンドはセルフではない。ヨーロッパではずっと自分で給油してたので、なんか人に任せるのがイヤで、今日も「自分でやる!」と無理やりノズルを奪って自分で給油したが、勢い余って思いっきりこぼしてしまった。そのとき脇にいた給油マンの「ほら言わんこっちゃない」という勝ち誇った顔がにくたらしかったぜ。
それとクレジットカードが使えない所も多い。
 でもトルコのスタンドではチャイサービスとかがあるところが多く、これはポイント高いね。




11月25日 トルコ Erzurum  / Hotel  Akcay (6,000,000リラ)

100キロ走って東部トルコで最大の町エルズルムに着いた。時間的にはまだまだ走れるんだが、ここでイランヴィザを取らないといけないので、一昨日XR600中川氏から教えてもらったホテルにチェックイン。最初は8百万リラの提示だったが、ふふふ俺は事前に中川氏からどこまで下がるかを聞いているんだな。もっともっととジェスチャーで示すと、彼と同じ値段まで下がったよ。
 しかしイスタンブールを離れると、ホテルでさえほとんど英語が通じなくなってくる。ここのレセプションのあんちゃんはなぜか「パレヴフランセ?(フランス語はイケる?)」と間抜けな事を言ってたけどね。

 チェックインしてすぐ、イランの領事館に走ってヴィザ申請。場所は町の中心から約30分南に歩いた町外れにある。領事館てのはたいがい地味で捜しにくいが、ここもご多分に漏れず、旗が立ってなければほとんど見過ごしてしまいそうな場所に申し訳なさそうに建っている。
 係りのおっちゃんは「この紙に必要事項を書くように。そして3日後にまた来てください」とやわらかい物腰で対応してくれた。たくさんの旅人からイランビザの取得はぬかりなくと忠告を受けていたのだが、申請用紙に特にややこしい質問も書いてないし、この領事館の雰囲気からしても、そんなに大変そうには思えないんだけどなあ。でも3日後に取りに行ったら「あなたはわが国を訪問するのには向いてません」なんて言われてしまうのかな?
 ちなみに、数日前イスタンブールの領事館で取得までの日数を確認したら10日ほどかかると言われた。アンカラでも同じぐらいかかるらしいから、もしここで3日で取れたらトルコでのイランビザ取得はここがベストだという事になる。思うに、忙しいイスタンブールの領事館やアンカラの大使館と違って、ここはヴィザ発給以外にあんまり仕事がないから物事がスムーズに進むのかもしれない。日本領事館のレター(添え状)も必要ないよ。

 その後バイクでバイク屋を捜しまわる。トルコってのはバイクがあんまり走ってないから、バイク屋を捜すのはけっこう難しい(イスタンブールは別だけど)。結局、小さな修理屋みたいなのは幾つかあったが、俺の求めるちゃんとしたのは見つけられなかった。小さい修理屋のオヤジに聞くと、エズリンチャンまで行かないとダメという。エズリンチャンてすでに通過したとこやないか!ガクッ。。。
 バイク屋を捜している目的は二つ。一つはタイヤの交換、もう一つはチェーンオイル購入だ。
今履いているタイヤは前がブリジストンのトレールタイヤ、後がピレリのMT60と言うやつ。前輪はアイルランドで交換して以来既に20000キロ以上走っている。後輪はフィンランドで換えてから約10000キロ。両方ともまだ問題はないのだが、ここで交換しとかないと、これからのイランとパキスタンでは入手が困難になるだろうから、インドかネパールまで換えられないことになる。
 ただ、大荷物のため荷重がかなり後にかかっており前輪はそれほど磨耗しないし、後輪のピレリはすごく持ちが良くって、まだ半分程度の磨耗率だと思う。エンカルタ百科地球儀でここからネパールのカトマンドゥまでの予定ルートをたどってみると約8000キロ。うーん難しいところだ。
 バイク屋ではないけど、まともそうなタイヤショップがあったので入って聞いてみると、イスタンブールに発注をかけて約3日、でも今日は土曜日なので店は休みだから、早くとも月曜日の発注になるので結局水〜木曜日ぐらいになるという。トルコ-イラン国境付近は雪の懸念もあるしヴィザが取れ次第なるべく早く移動したい。うーん、ますます難しい・・・




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