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10月11日 オーストリア Vienna/ カートの第二アパート (寄食生活)

庭園の最高地から見たシェンブルン宮殿
シェンブルン宮殿を見学。
ウイーン市内にあるこの馬鹿でかい宮殿は、オーストリア、いやヨーロッパのの歴史にとって欠かすことのできないハプスブルク家の居城となったところである。ハプスブルグ家といえば、たくみな外交政策と政略結婚によって中世から20世紀初頭まで、中部ヨーロッパに強大な力を誇りつづけた王家。同時にあとから歴史を学ぶ学生に、そのややこしい姻戚関係によりヨーロッパ史をキライにさせる元凶ともなっている(笑)。
 そのハプスブルク家後期の居城となったこの宮殿は1400以上の豪華な部屋、と美しい庭園、そして敷地の一角には世界最古の動物園が設置されている。

120シリング支払ってその豪華な宮殿内と庭園を見学した。なんとも豪華としか言いようがない(内装はロココ様式らしい。よわからん)。
ここでハプスブルク家の歴史を語っても仕方ないが、面白かったのは18世紀に在位したマリア=テレジアという女帝。この人は、20年間に16人の子供を産み(その中には、あのマリー=アントワネットもいる)、かつ同時に膨大な政務をこなし、他のヨーロッパの列強と渡り合ったという、化物のような女性である。
 この女帝の謁見室も見学したが、部屋には大きなベッドがおいてある。彼女はほとんどいつも妊娠していたので、ベッドに横たわりながらの謁見となることも多かったようだ。宮殿内の彼女の肖像画を見たが、豪傑女というよりは、非常に聡明そうな、世の中を深く見通すような深い眼差しをしていたのが印象的だった。

夜はカートとマリオ、カートの友達と4人でサッカーの試合を見に行った。
今日の試合はオーストリア対スペイン。2002年日韓共同開催ワールドカップのヨーロッパ一時予選だ。トラムを乗り継いでスタンドに向かうが、トラム駅周辺は同じく試合を見に行くファンで大混雑。みんなオーストリアの国旗を持ったり顔に赤白赤のペインティングをしたり、たいそう賑やか。
 グラウンドもほぼ満員。そして大歓声に包まれ選手入場。試合前のセレモニーも終わりいよいよキックオフ。
試合は意外や意外、オーストリアが大善戦。試合前、カートは「たぶん大差で負ける」と予想していた。その理由はあった。まず一つはこの夏の欧州選手権予選で、オーストリアはスペインに0-9で負けているし、かつ先週土曜日の弱小リヒテンシュタイン戦でもオーストリアは精彩を欠く戦いをしていたからだ。
 しかし、この日のオーストリアは、前の試合とは別のチームの様に素晴らしかった。強豪スペインを相手に、思い切って守備ラインを上げ、中盤で激しくボールを奪い合った。その混戦の中で背番号10番の司令塔(名前忘れた。ブレーメンでプレーしてるらしい)が、極めて正確なパス、またドリブルで相手陣に切り込んでゆく。そして前半20分過ぎ、右からのコーナーキックから得点。直後に同じくコーナーで追いつかれるが、その後はほぼ互角の戦い。スペインは個人技で勝っていたが、オーストリアの守備陣は極めてよく走り、ゴールを最後まで守った。みていて気持ちがいい試合だった。
結局1-1の引き分けに終わった。これはオーストリアにとっては大殊勲。このブロックは、スペインが一歩抜けてて、オーストリア、イスラエルが二位を競り合っている。ここでの上位2チームがワールドカップの切符を手にできる。この後もがんばって、再来年にはぜひ日本に着て欲しいな。「そうなったら俺も日本に行くからその時はお前のところに泊めてくれよ」とカートも上機嫌だった。その後は当然ビールで引き分け祝い。またまたヘビーな二日酔いとなりそうだ。


10月12日 ハンガリー Budapest /民宿テレザ (1300フォリント)

 天気もよし、ハンガリーに向け出発!
午前中、WEB更新作業をしていたので、午後スタートとなる。当然カートは会社、マリオは学校へ行ってるので、お礼の書き置きをして家の戸締りをして忘れ物がないか確認して施錠した後の鍵を郵便受けに落とす。
 ハンガリーの首都ブダペストまでは約250キロ。あんまりだらだら走っていると夜がふけてしまうので、高速道路を使って東へ向かった。交換したてのチェーンとスプロケットで、レイドも元気よく走ってくれる。

150キロほど走ったところでハンガリー国境になる。オーストリア側、ハンガリー側とも出入国審査はごく簡単、特にハンガリー側ではパスポートを一瞥しただけでスタンプも押さない。
 んがしかし、よしよしシンプルでええこっちゃと簡単に国境を後にできない理由が俺にはあった。それはグリーンカード(第三者向け自賠責保険)。
二週間前、ポーランド出国時に買った保険が明日いっぱいで切れるので、この国境で新しいのを買っときたい。しかし欲しい時にないのが世の常で、ここではグリーンカードは売ってなかった。実は一週間前のチェコ-オーストリア国境でも訊ねたのだが、その時もなかった。俺は今まで陸路国境ならどこでも買えると思っていたのだが、それはどうも間違いのようだ。
 しかしないものを出せとは言えないので、ともかくブダペストまで行ってしまう事にした。首都だからなんとかなるだろう。いやなんとかしないといけないのだな、この前(9/29)みたいなのはゴメンだから。

今日泊まった宿の名前は「民宿テレザ」。別に日本語に翻訳してるわけではなくて、本当に看板に「民宿テレザ」と書いてあるのだ。この宿を何で選んだかというと、スイスあたりのユースで日本人バックパッカ-に教えてもらって手帳にメモしていたのだ。彼は「安くていい宿だから是非泊まってみて下さい」と強力に勧めてくれた。こりゃ行かない訳にはいかないだろう。
 すでに暗くなってからブダペストの中心部にたどり着き、手帳の住所を確認する。民宿テレザの住所はわかっているがそれがどこかは全くわからないし、そもそも自分が今どこにいるのか分からない。とりあえず犬を連れて散歩している地元のおにいさんに手帳を見せて訊ねてみると、「それならこの次の通りだよ。すぐ近くだ」。なんと200万の大都市でほぼピンポイントで場所を探りあてられた!こういう時は、かなり嬉しいね。

民宿テレザは、名前が示す通り客のほぼ全員が日本人という、いわゆる「日本人宿」。俺は日本人が多かった宿には泊まった事があるが、全員日本人というのは初めて。中庭のある大きなアパートの二階の一室がそこである。
 部屋は二つでベッドは8つぐらいしかないが、いざとなればマットレスや雑魚寝などもありで、ベッド数の数倍の客が収容できる。そして一歩中に入るとそこはまさに日本。料金表示や注意書きはまず日本語があって次に英語、そして当然土禁、部屋のドアは静かにしめましょうさもないと罰金500フォリント、とか書いてあるし。本棚には日本のガイドブック、漫画、旅行記、なぜか池田大作の本まで置いてある。そしてすごい量の「情報ノート」。
 しかしなによりも部屋の空気が本物の日本だったな。長くここに泊まっている人がこまごまと宿の決まりを教えてくれたりしてね。他のユースとかでは絶対ありえないね、これは。




10月13日 チェコ Stary Jicin / Hotel Zamecek (1500コルナ)

さてグリーンカード。今日の24時で期限切れなので、今日中に何とかしないといけない。
まずは今持っているグリーンカードの裏面に記載されているブダペストの事務所に出向いてみる事にした。これはフランスで買った保険がアイルランドで切れた時に、ダブリンでやったのと同じことだ。ただしこの時はダメだった。裏面に記載されている各国の連絡先は、保険を販売している会社の住所ではなく、事故を起こした際の処理のための機関だとその時聞かされていた。だからあんまり期待はしてなかったんだけど、もしダメだとしても、買える場所を教えてくれたりするかなとそちらの方を期待してたのだ。
 宿から30分ほど歩いてその「ハンガリー自動車保険事務所」という所に行ってみた。結果はやはりX。さらに悪い事に、ハンガリーではその類いの広域で通用する保険を外国人向けに販売している会社はないそうだ。
 「でもハンガリーだけに通用する短期保険を販売している保険会社ならありますよ」と、担当のおばさんは住所と電話番号を教えてくれた。この保険なら最短期間30日(3000フォリント)、少なくともハンガリー国内は問題なく走行できる。しかし・・・

ここで俺は、ひそかに昨日の晩から考えていた代替案とも合わせて、難しい選択を迫られた。
その代替案とは、今の保険を買ったポーランド/チェコ国境まで戻ってもう一度買いなおすというものだ。これなら確実に買える。ただし問題は「遠い」こと。現在地のブダペストから、そのグリーンカードが買える国境までは直線距離にして250キロとさほどでもないのだが、実はこの間にスロバキアがあり、うっとうしいことにスロバキア入国にはビザ(即日交付で37ドル程度らしい)が必要なのだ。じゃあビザをとってから行けばいいじゃないかと思うかもしれないが、あいにく保険の有効期限は今日の夜中12時までなので、ブダペストのスロバキア大使館を捜したりビザを申請するのに時間をとられて出発が遅れたら、走っている途中に日付が変わって時間切れとなってしまうかもしれない。
 一方、スロバキアを通過しないでそのチェコ/ポーランド国境の販売所まで行くには、ウイーン経由で大きく迂回しなければならない。そうなると距離は大幅に長くなり、片道約600キロ。東京ー大阪間の距離か、きつ〜。
 この時点で大きく3つの選択肢が考えられた
  1. おとなしくブダペストの保険会社でハンガリー国内だけに通用する保険を買い、その後走る国の事はその都度考える。
  2. ただちにスロバキア大使館へ行き、即日発給のトランジットビザを取ってからポーランド国境の販売所へグリーンカードを買いに行く (この場合、ビザ取得の時刻によってバイクで行くか、電車で行くかを決定する)
  3. ウイーン経由で大回りして、長駆ポーランド国境まで走ってグリーンカード購入。 
この中で俺が選んだのは3。確かに一番しんどい方法だが、一番シンプル、かつ確実だから。1だと、その後の国々でまた聞きまわらなければならないし、この先いい保険があるかどうかも分からない。2の場合はいろいろと手続きが邪魔くさい。結局3が一番確実で、そして何より、ここで販売している保険が、カバーする国の数、そして値段において最高のものだと思ったから、二日つぶして買いにいってもそれだけの価値はあると考えた。

決まったら即出発。さもないとまた無保険走行になってしまう。朝11時半に出発して、現地に着いたのは夜の9時過ぎ。ハンガリー→オーストリア→チェコ→ポーランドと一日4カ国を走ったことになる。
販売所はポーランドからチェコに入る出国審査の所なので、一度チェコ側のイミグレーションで出国審査(続いてポーランドの入国審査)を受けてから、1キロほど先のポーランド側のイミグレーション前でUターンして販売所に駆け込んだ。
 首尾よく保険販売所は開いており、無事4ヶ月間有効のグリーンカードをゲット。全て手続きが終わった時は夜の10時半、期限切れまであと一時間半だった。
 
※ ちなみになんでこの保険がいいのかというと、カバーする国が、ユーゴを除く全ヨーロッパ+トルコ、イラン、中東の国々と、大変広いからだ。かつ価格は128ズウォティ(約3000円)。フランスで買ったグリーンカードは西ヨーロッパ諸国だけの通用で、かつ3ヶ月で1500フラン(約25000円)とけた違いに高かった。




10月14日 ハンガリー Budapest /民宿テレザ (1300フォリント)

帰路、紅葉が美しい林を発見(チェコ東部)
 昨夜グリーンカードを購入した後、50キロほど戻って街道沿いのホテルにチェックインした。日付はすでに今日になっていた。
一時はそのまま夜通し走ってブダペストまで引き返し、一日1000キロの記録を作ったろうとも目論んだのだが、グリーンカードをゲットしたらホッとして急に疲れてきた。かつ夜なのでスピードを出して走れないし、風も強くなってきた。てなことで記録はあっさり諦めて1500コルナの結構高級なホテルに泊まった。

このホテルはすごく感じがよくて、ホテル内のレストランで朝食してる時、美人のウエイトレスがやってきて、「サンドイッチを食べてみる?」と俺に訊いた。俺はその前に美人のウエイトレスに朝食メニューを注文しており、それを食っている最中で、彼女の意図がよくわからなかったのだが、向こうから勧めてくるならこれは相当うまいんだろうと思って注文した。
 サンドイッチは15分ほどしてやってきた。アルミホイルで包まれ、そしてオレンジもついて、それがビニールの袋に入れられている。それは昼食用だったのである。美人のウエイトレス、またはホテルのえらいさんが気を利かせてくれて、おれに弁当を持たせてくれたのだ。これはもちろん金を取られていない(朝食もホテル代に含まれているし)。
 俺はこうことに結構感動する。昨日の夜中、いきなりやってきた汚い旅人ライダーに対して、こういう粋なサービスが出来るのは並のホテルじゃないと思う。美人のウエイトレスもウエイトレスらしからずたいそう美人だし、切にもう一泊したいと思ったんだが、今日は民宿テレザに帰ると言ってあるので、泣く泣くホテルのオーナーにお礼を言って宿を後にした。

そしてまたまた日に夜を接いで走り、夜9時ごろ我が家「民宿テレザ」へ帰宅。
二つある客部屋のうち、奥の方の部屋に空きベッドがあったのだが、なぜか俺は手前の部屋のソファーベッドをあてがわれた。長くいる客に聞くと、汚い旅人は奥の部屋に泊めないそうだ。俺は汚いグループに入れられているのか、やれやれ。
近くのKINAI飯店という中華屋でスープと焼きそばと酢豚と大盛り飯とビール二本を腹に入れたら急に眠たくなってきた。




10月15日 ハンガリー Budapest /民宿テレザ (1300フォリント)

ブダ側とペスト側をつなぐ吊り橋。
下を流れるのはドナウ川
気になっていたグリーンカードも入手し、今日は晴れてブダペスト観光。
王宮その他いろいろと歩き回るが、旅行を始めて半年以上が過ぎ、街歩きもそろそろ飽きはじめてきた。どうも気が入らないね。特に今月初めプラハとクルムロフという、極めて美しい街を歩いたのでどうしてもそれと比べてしまう。別に美しいことだけが街歩きの楽しみではないし、もっとじっくり見れば面白い発見もたくさんできるのだろうが、うーん、どうも気が入らないね。
 ブダペストは市内にいくつも温泉があり、俺はこれを楽しみにしてたんだが、今日はあいにく日曜日で、午後遅くまでやっている温泉はなかった。仕方なく民宿テレザへ帰り、だらだらと過ごす。
 
これはあくまでも個人的印象なんだけど、日本人で長期間旅行しているバックパッカーは、大学生は別にして、どこか一風変わっている人が多い気がする。何が変わってるのかはっきりは言えないが、何か一般的日本人とは違う雰囲気を持っている。外人バックパッカーは結構普通の外人っぽいんだけどねえ。
考えるに、外国(特にヨーロッパ)では、仮に会社で働いてても一ヶ月とか長期の休暇を取得できるから、普通の会社員や職人が簡単にバックパッカ-になれる。それに対して日本では、会社に勤めながら一ヶ月続けて旅行できることなど不可能に近い。だから会社員が長期の旅行をするには会社を辞めるしかなく、だいぶ変わってきたとはいえ、今の日本で自分から会社を辞める人間はそう多くなく、あえてそれをする人間は日本の平均的若者像から少しはずれる人が多い、のかもしれない。

民宿テレザにも、そういう面白い旅人がたくさんいる。そして彼らの多くは旅の達人であり、いろんな国のいろんな情報を驚くほど知っている。どこでビザを取るのが一番安いか、どの陸路から国境越えすべきか、街のどの地域が危険か、どの店がうまくて安いか、ここの温泉はホモが多いから注意しろ等々。俺がこれから走る国の事をここの客全員に聞けば、かなりの事前知識が得られることは間違いない。そしてさらに、部屋の隅に置いてある膨大な量の情報ノート。これははっきりいってすごい。こんなのが世界中の日本人宿に置いてあるのだろうか。これを全部データベース化してネット検索できるようにしたら地球の歩き方も真っ青の最高の旅行ガイドになるに違いない。
 だから、なんでわざわざ外国に来てまで日本人でかたまるのかなどときつい事を言ってはいけない。日本人宿の本質、それは膨大かつ精緻な情報の集まる「ベッド付き日本語ツーリスト・インフォメーションセンター」なのだ。
 ちなみに、日本人宿があるなら、「オーストラリア人宿」や「フランス人宿」「ドイツ人宿」などもありそうだが、当の外人に聞いてみるとそれはないらしい。ただ「韓国人宿」「ユダヤ人宿」はあるそうだ。国民性の反映なのかな?




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