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9月26日 ポーランド Krakow /  YHA (16Zt)

クラコフの街角にて(フロリアンスカ門)
クラコフへ。ユースに泊まるとチェックアウトが10時なので朝がバタバタとうっとうしいが、その分早めに出発できると言うものだ。特にヨーロッパではここ最近急激に日が落ちるのが早くなってるので、なるべく朝を有効に使わねば。
と言う事で、それでもパッキングやら他の旅行者とだべったりして11時前のスタートになったけどね。
 途中運良くヤマハの看板を掲げたバイク屋を見つけ、ヘッドランプバルブを交換(10ズウォティ)、さらに南へ走り、日没前に無事クラコフへ到着。ずっとハイウェイを走ったので道中は面白くなかったな。

ここでもユースに宿を取る。と言うのは、リトアニアのヴィリニュスで仲良くなったオージーシェフバックパッカーダグラス(豪州元料理人貧乏旅行者駄愚裸巣)と落合うためだ。実はワルシャワのユースでも会う予定だったのだが、俺の到着が遅れて再会出来なかったから、今度はミスれないのだ。
 だがチェックイン後、レセプションに確認したところ、駄愚裸巣は今日チェックアウトして出ていってしまったらしい。またニアミスか、とガックリしながらメシを食いに行き、帰ってきたらなんと駄愚裸巣がロビーに座っていた。彼は今朝チェックアウトした事はしたが、この後向かう町行きのバスが夜出発なので、それまでこの町で待っているのだそうだ。それで何時出発なのかと聞くと夜11時。だから約二時間だけ、ロビーでいろいろと話したよ。

駄愚裸巣はビリニュスのユースに働いている24歳のレイモンダ(麗門多)が気に入っていて、またヴィリニュスに戻りたいと嘆いていた。うーん、ちょっと遅いぜ駄愚裸巣よ。俺はビリニュスにいる時からその事は知ってたから、なるべく二人にしてやろうと、3人が居合わせた時などは敢えて部屋を出て行ってやったりしたのだが、奴はせっかく俺が作ってやったチャンスを有効に使わなかった。何人もいる時は、無茶苦茶陽気でよくしゃべるのに、俺が部屋を出て二人きりになると、奴もついてくんだ、いつも。駄愚裸巣は、「麗門多はあまりにもピュア過ぎてね」と言うが、俺から見たら駄愚裸巣も同じくピュアでシャイ、だからすごくいい奴で好きなんだけどね。




9月27日 ポーランド Krakow /  YHA (16Zt)

兵役を終えた若者の打ち上げ
パーティらしいが・・・よくわからん
(中央市場広場にて)
今日はクラクフを一日歩いた。
クラクフはワルシャワと違って、珍しく戦争で被害を受けなかった。だから昔の街並みがそのまま残っていてとてもいい感じの町で、旧市街全体がユネスコの世界文化遺産に登録されている。「地球の歩き方」によると、この町はポーランド王国の全盛期だった14世紀から16世紀にかけて首都で、プラハ、ウイーンと並んで中世の中央ヨーロッパの中心として栄えたらしい。
レストランや土産物屋、そして観光客の数もワルシャワより多そうで断然活気がある。
王の居城だったヴァヴェル城、チャルトリスキ美術館、いくつかの教会、その他いくつかの観光地に足を運ぶ。ぽかぽかと天気も良く、ビールを飲みながら町をぶらぶらしているといい気分。

観光もなかなか楽しんだが、もっと楽しんだのが食事。それもベトナム料理。昨日の夜、今日の昼、今日の夜と3食連続でベトナム料理を食った。看板にはメコン飯店とか書いてあって中華料理かとも思ったが、メニューはベトナム料理っぽいのが多かったし(ベトナムの米粉麺Phoがあった)、割箸の仕入れ先もベトナムだったから(割箸の袋の住所を見た)、ベトナム料理に近いのだろう。
ここで食ったのは、Phoボー(牛肉入りスープ麺)、ダック北京風、チャーハン、豚肉炒め、七面鳥の鉄板焼き、焼きそば、シーフードスープなどなど。これにビールやデザート、コーヒーも含めて一食あたり1000円ちょっとで食えるから、嬉しすぎる話だ。もちろん本場のベトナムに行けばもっと安くておいしいのが食べられるんだろうが、これまで西欧やスカンジナビアの物価高に慣れていたから、ついつい余分に注文してしまうのだ。注文をとるウエイトレスも、俺がメインから3品選ぶので「本当に食べられるの?」と心配してくれたよ。無論すべて平らげたけどね。
 しかしなんで植民地でもなかったポーランドにベトナム料理店がこんなにたっくさんあるの?だれか知ってる?




9月28日 ポーランド Bielska-Bialej / 町外れのホテル (55Zt)


(上)収容所正門 (下)死の壁
これからしばらく進路を西に取り、チェコへ向かう。
その途上、オシフィエンチムswiecimに寄る事にした。ここは第二次大戦中、アウシュビッツというドイツ名で呼ばれた町だ。あの収容所の跡地が保存され博物館になっているというので行ってみたくなったのだ。
 クラクフからはほぼ真西へ約65キロ。途中低い山地を越え、一時間半ほどで着いた。
敷地はかなり広そう。駐車料金は7Ztかかったが、警備の詰め所の真ん前にバイクを駐めさせてくれたので、移動中で荷物を積んでいる俺にはありがたい事だ。そして入場料は無料だった。

このアウシュビッツ収容所は、言うまでもなくナチスの他民族絶滅工場である。パンフレットを拾い読みすると、1940年の建設当初はポーランドの政治犯を収容するために作られたが、その後はドイツが占領した国からユダヤ人、ロマ族、スラブ民族などの異民族、ソ連軍の捕虜なども続々と送り込まれるようになった。それと平行して収容所の増設も行われ、一時は同時に28,000人が収容されていたという。そしてここで虐殺された人の数は150万とも言われている。
 30分のビデオを見た後、「働けば自由になる」というプレートがかかっている正門をくぐる。赤レンガの規則正しい棟が20棟、その周りには二重に張り巡らされた鉄条網。殺風景なのには違いないが、ぽかぽかと天気もよくのどかな雰囲気、ここで60年前、150万もの人が短期間に虐殺されたとはとても思えない。
 と思ったのも束の間、棟の展示を見た瞬間、そんなのんびりした気分は吹き飛んだ

収容棟を改造して作られた展示コーナーには、犠牲者から取り上げたカバンや靴、ブラシ・櫛、義足義手、メガネ、衣類、そしてガス室で使用されたチクロンBという毒物の空き缶がそれぞれまとめられて展示されている。どれもこれもおびただしい数で唖然とした、圧倒された。
そして陳列コースの最後に見たもの、それはおそらく何千人、何
強制労働の約に立たない
女性と子供は簡単に殺された
万人分にもあたる、女性の髪の束であった。女性は殺された後、髪を切られてそれがドイツの工場に送られ、マットレスや布地に加工されていたというのだ。三つ編にされているのもある。
なんなんだ、これは!全くサメのヒレ取りか、ゾウの象牙とりと同じではないか!
それまで圧倒されながらも何とか平常心を保っていたが、これを見た時、どうしようもなく泣けてきてとまらなくなった。
写真もこれだけはどうしても撮れなかった。一緒に見ていた何人かも泣いていた。

その後も、悲惨な現場の見学コースが続いた。「死の壁」と呼ばれる銃殺場、餓死室、窒息死室、集団絞首台、ガス室・焼却炉、人体実験室 ・・・囚人たちは、収容所に送られてきた日に所長から「おまえ達には出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ」と言われたそうだ。ある者は入所して即座にガス室行きとなり、あるものはその後に死刑、または重労働、栄養失調、拷問、伝染病などで死んでいった。
 拷問も強烈だ。90センチ四方の部屋に4人詰め込んで重労働のあと一晩中建たせる「立ち牢」や、十数時間も続く「懲罰点呼」では、その間ずっとかがんだままの姿勢で手を挙げ続けなければならなかったらしい。双子の子供や身体障害者は実験材料に使われた。

さくっと見てチェコへ向かう予定だったが、気が付くと4時間も経っていた。見終わったらただ疲れた。座り込んでしばらくぼーっとしてから出発したが、100キロも走らないうちに適当な町に宿をとった。チェコ国境まであと30キロ。





9月29日 チェコ Praha / Villa Assen (1850Kc)

 ポーランド・チェコ国境についた。
いつものようにイミグレの売店で小物を買って(今回はタバコ一箱)ポーランドのコインを処分する。コインは両替所で替えられないからね。その後出国手続きに向かう。他の国と同様パスポートチェックだけかと思いきや、ここでは保険(グリーンカード。ヨーロッパ広域で通用する第三者向け自賠責保険)の提示を求められた。うっ、ヤバ・・・
 実は俺はこの時グリーンカードを持っていなかった。なぜかというと、以前にフランスで買ったグリーンカードは主に西欧諸国しか通用しない。だからフィンランド出国時でこれは何の役にも立たなくなった(同時に期限切れ)。そしてその後に通過したバルト3国では、国境でその国ごとにその国だけに通用する短期保険を買わされた(数百円〜千数百円程度)。そしてバルト3国の最終訪問国リトアニアからポーランドに入国する時、新たな保険の購入をつい忘れてしまったのだ。ポーランド入国後何日か経って気が付いたが、また国境まで戻って購入するのが面倒だったし、かえってややこしい事になるかなと思い、このまましれっと抜けてしまおうと考えていたのだ。

俺はあせった。ここは正直に忘れましたというよりも、全く何にも知らんかった事にした方がいいだろうと判断し、「保険?保険ならあるよ」といいバックパックから日本のJTBの旅行保険を出して見せた。
「これはヨーロッパでの自動車事故もカバーするんだ」
「ノーノーそれはダメだ。グリーンカードだ」と言って、次のドライバーが提示した書面を指差しこれだと言った。
「何ですか?これは」おれはあくまでとぼける。
「きみきみ、それはノーグッドだ。ビッグプロブレムだよ。1000ドルの罰金だ」
来たぁ〜(真っ青 (゜゜;)
ポーランド出国係官は俺のパスポートを見ながらどこかに電話をかける。そして何か電話先からの指示を聞いているようだ。もしくは俺が不正入国したかどうか、もしくはポーランドで事故を起こしているか確認しているのだろうか。15分ほど待たされたあと、「とりあえずグリーンカードを隣の建物で買いに行きなさい。そして買ったらもう一度ここに戻ってくるように」と言われた。
 俺は言われた通りに隣の建物の保険販売所に行き、新たな保険を買った。この保険購入の時も実はぎりぎり買えたのだ。俺はさっきタバコを買って、残りのポーランド紙幣は全部で30ズウォティ。そしてグリーンカードの最短期間の価格が27ズウォティ。ぎりぎりセーフだった。ここで販売しているグリーンカードは、ヨーロッパ全土の他に、その後向かうトルコやイランまでカバーしているので、本当は3ヶ月とか長期の保険を買いたかったのだが仕方がない。イミグレには両替所がいくつもあるが日本円は何処も受け付けない、そして銀行はあるがATMがない。さらにVISAは前にも書いたように止められた。JCBは受け付けられなかった。
 保険販売の人について来てもらってまだ入国手続きをしてないチェコ側の両替所まで入って日本円やJCBでのキャッシングが出来るかどうか聞いて回ったが何処もダメで結局グリーンカードカード購入だけでも30分以上かかった。救いだったのは、保険販売のあんちゃんがすごく親切で一緒になってどうすればよいか考えてくれたので、おれも比較的冷静に対処することができたと思う。俺は3ズウォティのお釣りを、お礼とともにおにいちゃんに挙げた。どうせ持ってても何の役にも立たないしね。あんちゃんはこれでビール一本飲めると喜んでたよ。

とにかく二週間のグリーンカードを買い、再び出国審査の窓口に行く。すると係官はまたどこかに電話をかける。かけながらメモに「ジャポニカ」とか何とか書いている。
俺はこの時点で罰金は仕方ないと諦めていた。これも自分のいい加減さが起こした事だし、自分のためにもいい薬になるだろうと思ったのだ。たぶん係官は支払いに関する指示を確認しているのだろう。
 ところが予想に反して、彼は見逃してくれた。そしてパスポートにスタンプを押してくれた。そして丁寧に保険の説明までしてくれたのだ。実際、ほっとしたよ。
 これからはちゃんとしないとな。自分自身の為なのだから。こんな事を書くのは恥ずかしいのだが、これから走る人の参考にもなるし、トラブルは読む方にとってはたいてい面白いしね。
次のチェコ出国の時に更新を忘れない事。

そのあとはとにかく走って、久しぶりのナイトランまでしてプラハまで来る。夜になってホテルを捜しまわるのも大変だし、道沿いに見つけた感じのよさそうな三ツ星ホテルにチェックインした。1850コルナ(約5000円)だが、ホテルはできたばかりのようで、部屋を見せてもらったら広くてきれい、そしてプラグイン可能な電話も設置されている。罰金1000ドルの事を考えたら安いもんだ。受付のお姉さんも感じいいしね。
 チェックインした後、受付まで降りていって近くにメシを食う所はあるかと聞くと、なんなら私が作りましょうと受付係みずから閉まっていたレストランを開けて、夕食を作ってくれた。バドワイザーの本家、チェコのブドワイザービールが泣けるほど旨かったよ。




9月30日 チェコ Praha / Villa Assen (1850Kc)

ヴルタヴァ川東岸からみたカレル橋
昨日の夜と今日の昼過ぎまでパソコンにかかりきり。部屋の冷蔵庫のビールを飲み尽くし10日もメールを開いていないと返信を書くのだけで大変だ。そのあとこのWEBレポートのまとめ書き。、ビールがなくなったらコーラの栓も開けて飲みながらひたすら書く。旅行の最初の頃は、眠たくても、疲れてても、飲んでても、寝る前に何か書いてたのだが最近はどうも踏ん張りが利かなくなってきた。出発以来半年経ち、ちょっと中だるみの様相を呈してきたようだ。
 それでもまだ日本語のページは書いている方で、英語ページは9月5日から全然進んでない。英語版は読者も少ないし、(何度Yahooの英語ページに登録申請しても掲載されないんだ。俺の文章がよっぽどおかしいのか?)、面白い事もあんまり書けないから、廃止しようかな?でも旅で知り合った何人かの友達がフォローしてくれてるし、細々でも続けたほうがいいのかなあ?

ようやくひと段落つけて、プラハ市街に繰り出したのは午後3時。
今日もぽかぽかといい天気。市内の適当なところにバイクを置き、ホットドッグを二個たてつづけに食い(うまい!)、ヴァーツラフ広場から旧市街広場にかけての大通りをぶらぶら歩く。本格的な市内観光は明日するつもりだから、今日は下見みたいなもんだ。ずっと部屋にこもりきりで作業して、急に太陽の下に出たもんだから、なんか徹夜明けで試験を終えた後のような感覚があったな、ふわふわしてんだよ、頭の中が・・・
 別に取り立てて書くようなことは何もなかったんだけど、観光案内所にロマ族らしい中年の男女二人が入ってきてけんかを始めたのにはちょっと驚いたよ。女の方が抱えているギターを酔っ払った男が奪おうとして、女は離すまいとすごい形相でギターを死守している。男はだんだん興奮してきてついに女を手の甲で思いっきり殴り飛ばした。女は泣きながら、それでもギターを離さないので、男はさらに髪の毛を引っ張ったりまた殴ったりえらいことになってきたと思った頃、「警察だ!」と大声で名乗りながら警察官がどかどか入ってきて男を取り押さえた。別に名乗らなくても制服でわかるっちゅうに。




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