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9月21日 リトアニア Zervynos / Old Town YHA (32LT)

町や村に必ずある十字架。
日本で言えば地蔵みたいなもんか?
結局8泊もしてしまったヴィリニュスのオールドタウン・ユースホステルに別れを告げ、移動を再開。
 まずヴィリニュスを西に約20キロ走ったトラカイという15世紀の古城で有名な町へ。この城は湖に浮かぶ小島に建っていて、なかなかいい雰囲気を醸し出している。ただ城自体は20世紀になってから復元されたもので、古城というイメージではない。中は博物館にもなっているんだが、邪魔臭くなってきて、売店で買ったキビナイ(羊肉のパイ)を食いながら、湖の岸辺から眺めるだけにした。

その後は、今日の目的地、ゼルビノスへ向ってまっしぐら。なんでまっしぐらかと言うと、ヘッドライトか切れたから。だから夜に走ることはできないし、なるべく早めに宿に入りたかったから。
ゼルビノスのホステルは、オールドタウン・ユースのリビウが、「ここのホステルは、ロンリープラネットにも地球の歩き方にも乗ってない秘密のホステルだ。すごくいいところだから、ぜひ泊まっておいで」と勧めてくれたので寄る事にしたのだ。ホステルを秘密にしてたら商売にならんじゃないかと思いつつも、国道A-4をVarenaと言う町で左折し、さらに教えられた通りに右に左に道を取る。そしてしばらくすると道はダートに変わった。

 お、なかなか田舎のいい雰囲気になってきたと余裕を持って走っていられたのはつかの間で、このダートは他のヨーロッパではほとんど体験しなかった砂地ダート。それもところどころかなり深い砂となっているので何回もスリップしてこけそうになった。スタンディングで後輪の荷重を減らしたいところだが、荷物が重すぎてとてもバランスを取れない。そして後少しで宿、と言う所でかなり急な上り坂になった。坂の途中で止まると絶対こけると思って、気合を入れて加速をつけて登りきり、なんとかこけずに宿までたどり着いた。久々にけっこうハードなダートだった、もしスプロケットを替えてなかったらひどい事になってただろう。

ゼルビノスへ至るダート
 ゼルビノスはリトアニアとベラルーシ(白ロシア)共和国の国境近くにある、人口100人もいるかどうかという、森の中の小さな村。確かに秘密のホステルと言う形容詞が相応しいロケーションだ。こんな度田舎に車かバイク以外どうやって来んねんといぶかったが、実は村のはずれの小さい丘の向こう側に鉄道の駅があるらしい。
 ホステルは離れになっていて、俺は宿の管理人スバネリス君からキーを貰った。客は当然俺一人。建物にはトイレ・シャワーはない。トイレは50Mほど離れた掘っ立て小屋。そしてシャワーの変わりにスモークサウナだ。暖房は本物の暖炉。自分で薪をくべて部屋を暖かくするのだ(夜は3度とかそんな気温なのだ)。それにしてもすごいホステルに泊まったものだ。しかしもっと驚いた事は、宿のノートに日本人が書き込んでいるのを見た事。二人書いていた。

店などない、ましてやレストランなど。しまった町で何か買っといたら良かった、今日はメシ抜きかと覚悟していたら、管理人のスバネリス君がメシを作ってくれると言ってくれた。こりゃ有難い。
8時に母屋へ行き、彼曰く「学生料理」を味わった(彼は大学生で、今は休暇のため実家で宿の仕事を手伝っているのだ)。メニューはトマトのスライスとジャガイモ炒め。全くそれだけだったが腹が減っていたのでなかなか美味かった。まさにゴッホの「馬鈴薯を食う人々」状態、ムシャムシャとジャガイモを食って食って食いまくった。




9月22日 ポーランド Augustow / Harasim夫妻の豪邸 (行きずりの押しかけ)

ゼルビノスの隣町の駅
 あさ、スバネリス君に村を案内してもらい、その後、バイクで隣町まで一時間ほど走り、砂ダートの練習。このあたりの土地はおおかた砂地のようだ。農業はけっこう厳しいだろうと思いきや、川の流域でけっこういろんな種類の野菜を栽培しているらしい。
 この村は本当にのどかでいい所。天気も良いし、もう一泊してのんびりしたい気もしたが、予定がかなり遅れてしまったので少しでも挽回せねばと思い直し、一時ごろ出発した。

Lazdijaiという町からポーランドへ入国したのは午後3時ごろ。入国審査はバルト三国よりも簡単で、入り口に立っている係官が、スタンプを指に引っかけて拳銃のようにくるくる回しながら、カチャと止めて無造作に押してくれた。バイクの登録証書も見ない。
 ポーランドに入ってガソリンのタンクが気になり出した。それに腹も減ってきた。さらに数十分走ったAugustowという町で金をおろして、ふと横を見るとレストランらしき店があったので、注いでにメシも食おうと思って店に入った。
 店のメニューは全部ポーランド語、店の主人も英語全くダメなので、どうやって注文しようかと考えていると、横で座った食べていたひげのおじさんが「何かお手伝いしましょうか?」と助太刀を買って出てくれた。ありがたい!

今がポーランドで最高に美しい季節じゃないかな?
ひげのおじさんのおかげで、俺は無事にポーランドの名物料理の一つである、コトレット・スハボウイ(トンカツみたいなもん)を注文できた。日本のトンカツよりは表面のパリッとさはないがまあまあ美味い。
おじさんはその他にもワルシャワへの道や、この先にあるホテルなどを色々教えてくれてとても親切。そしてしばらくして「うちでお茶でもどう?すぐ近くだから」と誘ってくれた。おじさんの態度や言葉遣いから、この人は信用できると判断できたし、ポーランドの家もどんなのか見てみたかったので、俺はお言葉に甘えてついていく事に。古いベンツの後ろについて5分ほど走ると、小金持ちの住宅街の中の一軒に到着した。
 家は4階建て、家具や装飾品など、かなり豪華である。聞くと、このおじさん、ハラシム氏は工芸家らしい。

奥さんのアンナと3人でお茶をしているうち、どうせなら家に泊まっていきなさいという話になり、いやいやそんな厚かましい事はと言いながらも内心やったー、こんなゴージャスな家に泊まれると心の中で小躍りした。
その後、夫妻に町を案内してもらったり、家でディナーをご馳走になったり、なんとラッキーな一日だった事か・・・


9月23日 ポーランド O-Mazowiecka / Motel Mazowiecka (97Zt)


ハラシム氏はこんなレトロなバイクも持っている(47年前のもの)。
足元についているのはガスマスク入れらしい
午前中、ハラシム氏がマイヨットに招待してくれると言う。やはり、こやつかなり儲けてるな、と思いつつも口には出さず、氏の車に乗ってヨット場へ。5分ほど走ると、ちょっとした空き地の真中に10メートルはあろうかというでかいヨットが。でも近づいてみるととんでもなく古びていて、とても乗れそうにはない。でも町で見かける車でも、ときどきとんでもなく古いのが走ってるから、これを湖まで運んでいって乗るのか!?
 氏ともうひとり奥さんの弟と二人で、ヨットを牽引車につなぎ、走り出す。やっぱりこれに乗るんだ。しかし大丈夫か?バイク旅行中に湖で溺れ死ぬなんて御免こうむりたい。しかし牽引車がヨットを引いていった先は、湖ではなくて別の家の大きなヨット保管場であった。聞くとここで本格的に修理するらしい。なんだ、道理でぼろぼろのはずだ。俺を連れてきたのは、単に見せたかっただけだったのだ。

その後、家に戻ると、またもやTVの取材。なぜかハラシム氏も知りあいにテレビ局の人がいて、昨夜か今朝早く連絡を取ったらしい。「君が都合悪くなかったらお願いできないか?」ただで泊めてもらって、食事や酒までごちそうになっている氏の要請を断れるはずもなく、約15分のインタヴューと運転シーンの撮影を行った。マスコミ取材はこれで4回目だから、おれもそろそろカメラ慣れしてきたよ、なんてね。
 テレビは地元の局で、取材しに来た人は一人。彼は英語がしゃべれないのでハラシム氏が通訳になってインタビューは進んだ。
まさにポーランド黄金の秋!
 ハラシム氏は「最初にこの町の印象を『日本語で』話してくれ」と言った。なんだそれは?ともかくも言われるとおりに日本語で綺麗な町だとべた褒めしといたが、チンプンカンプンの二人を前に日本語を話すのは、えらく奇妙な感じがしたな。
 そのあとは、旅のことやバイクの事を中心に質問されたけど、俺は前夜飲みながら、ハラシム氏にほどんど話してるから、ハラシム氏は別に俺の答えを聞かなくても「翻訳」できる。だからけっこうええ加減で、例えば「旅の大まかなコースを教えてくれ」と言う質問に、俺は「今までヨーロッパをこういう風に走って、これからは・・・」と言おうとすると、氏はそこでさえぎって、俺がまだしゃべってない日本までの全コースを見事に「翻訳」してくれた。まあこっちは手間が省けて楽だけど、英語のわかる人がテレビを見たら、どうなってんだ?と思うだろうな。

インタビューも終わって、ようやく暇ごい。実は奥さんのおとうさんのパーティが今夜あるから、もう一泊していかないか、と誘われたんだが、見ず知らずの人にタダで2泊も泊めてもらって、さらにお父さんの米寿(かなにかは知らんが)パーティーにまでのこのこと顔を出すのはあまりにも厚かましいと思ったから、それは遠慮しといた。先を急ぎたい気持ちもあったしね。でもかなり迷った末の選択だったな。
 ワルシャワへ向け一路南へ。今日中に着きたかったが、ヘッドライトの電球が切れてしまって夜は走れず、約100キロ手前の街道沿いの町でモーテルに投宿(でも今から考えたら、ハイビームで走れば良かったんだな。俺って鈍いぜ)
メシ食ってビール飲んで寝た。





9月24日 ポーランド Warszawa / ユースホステル (27Zt)

 モーテルを出発し一路ワルシャワへ。
ポーランドの道路は今までのどのヨーロッパの国よりも悪い。舗装は舗装なのだが、轍がひどいのだ。俺のバイクだと別になんと言う事もないが、車高のない車や、ロードバイクなどは気を使って走らないといけないかも。
もう一つは、運転マナーがなってないこと。何が怖いかって、二車線の道で、反対車線に対向車がいるにもかかわらずバンバン追い越しをかけてくる。だから自分の走っている車線の前に車がいない場合でも、前を良く見て走らないと危ない。俺は最初、反対車線に走っているのがバイクの時だけ追い越しをかけてくるのかと思っていたが(バイクなら簡単に路肩の方へ寄れるから)、そのうちそれが四輪車でも気にせず車線をはみ出してくることがわかった。ぼおっとしてれば正面衝突だから、こっち側を走っている車は車線のさらに右の(右側通行なので)、路肩エリアに車体を寄せてやりすごす。
 こういうのが頻繁にあるから、ポーランドを走っている時は気を抜けないよ。

ワルシャワ市内の公園にて。ジプシーのバンド
(たぶん)の音楽にあわせて踊る老夫婦
今日の道のりは約100キロ。昼過ぎにはワルシャワに到着した。市内に入って何人かに道を聞きながら、ユースホステルに向かった。それほど迷う事もなくホステルを探し当てたが、受付は4時以降となっており、入り口は完全にロックされている。ユースは時々こういう事をするから油断ならない。特に都会のユースでは朝10時頃から夕方4時頃まで、宿泊者でさえも完全に追い出すことが良くある。そして門限もあり(たいてい夜11時か12時)、門限以降は宿に戻れないから他のホテルに泊まるか、オールナイトのバーで飲み明かすか、外で凍えながら朝を待つしかないのだ。
 ともあれ、今は1時、3時間も道端で待ってられないから、他のホテルを捜そうとバイクで市内をうろつくが、なんせ人口4千万人の国の首都だけあって、ホテルがけっこう高い。それでもガイドブックの地図を見ながらいくつか安宿をアタックするが、これがまたあたらなかった。一つは安宿と書いてあるのに300Zt近くして安くない。もう一つはホテル自体がつぶれていた。

仕方がないからつぶれたホテルの下にあるレストランで気分が悪くなるほど食って(豚の足の丸焼きみたいなやつ。余りにも巨大だから全部食えなかった)、ビールも飲んだりしてくつろいでたら4時近くになってきたので再度ユースにもどって少し待った後無事チェックイン。営業スタイル同様、無愛想で感じの良くないユースやで。
 実はこの宿で、ビリニュスで知り合ったオージーのバックパッカ-、ダグラスと落合う予定にしてたのだが、俺の予定が遅れたので、彼はすでにワルシャワを離れてしまっていた。近くのインターネットカフェでメッセージを確認すると、今はポーランド南部のKrakowにいるらしい。ここは俺の次の訪問予定地だから、運がよければ数日後に会えるだろう。
 同宿の日本人大学生、りょうすけ君とおばな君と3人で町に繰り出し、久しぶりに日本語で酒を飲んだな。




9月25日 ポーランド Warszawa / ユースホステル (27Zt)

見事に復元されたワルシャワの旧市街
朝イチで切れたヘッドライトバルブを交換すべく、ユースの人に聞いたバイク屋に行くがないという。なんでそんな基本的なもんがないねん!と思いながらも、ないものを出せとは言えないから街を流してバイク屋を捜す事にした。しかしこれがまたないんだ。車屋はいっぱいあるんだけど(特に大宇や現代、KIAなどの韓国車がすごい)バイク屋はとんと見つからん。そういえば街を走っているバイクもあんまり見かけんから、ポーランドではバイクはあんまりポピュラーな乗り物ではないのかもしれない。
おまけに市内は渋滞で、排気ガスと暑さで気分が悪くなってきたので、バイク屋さがしは一時間ほどでやめやめ。まあ夜走らなければいいだけの話だし、平地ばかりのポーランドでトンネルは考えられないから、移動中にバイク屋を捜しながら走ることに決定。そんで早々に宿に戻ってバイクを置き、観光に切り替えだ。

ワルシャワは人口160万人の大都市、ポーランド全体では4000万人近く、これまで人口密度の低いスカンジナビアやバルトの国を旅してた俺にはやたらと人が多く感じる。
そのワルシャワは第二次世界大戦でむちゃくちゃに破壊された。ポーランドはソ連とドイツの間にあり、且つ地形も平たいので格好の戦場だったのだろう。エンカルタ百科事典によると、戦争前100万人いたワルシャワ市民のうち生き残ったのは16万人に過ぎなかったという。恐るべき数字だ(ちなみにポーランド全体での犠牲者は約500万人。太平洋戦争での日本人の犠牲者は300万人強だから、人口比から考えてもいかにポーランドが悲惨な目にあったかは想像に余りある)。
 だからワルシャワに古い建物は少ない。それでも旧市街を中心にふるっぽくて美しい街並が広がっているのは、戦争後に市民が協力して元通りに復元作業を行ったからだそうだ。素晴らしいではないか!日本の町の(特に京都!)景観を考えない無茶苦茶な建物の建ち方とは大違いだ。

ただそうかと言って、ワルシャワが観光客にとって楽しい街かと言えばそうでもない。先ず観光案内所があんまり気合が入っていない。次にバックパッカ-を受け入れる安宿が少ない。ツアーもあんまり活発ではなさそう。飲み屋の数も首都にしては少ないように感じる。土産物屋に売ってるステッカーや絵葉書もそれほどいいのがない(俺はステッカーと絵葉書の種類の多さ・質の良し悪しで、その国の観光事業への意気込みがある程度はかれるのではないかと思っている)。ワルシャワ君、もうちょっとがんばれ〜
 夜は昨日のりょうすけ君、おばな君に加え、ドイツ留学中の中村君、東大バックパッカ-の須田君も交えて(4人とも大学生だ)ベトナム料理→アイリッシュパブの黄金コースで締めですわ。




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