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9月16日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

(上)ドイツ人バックパッカ-君の整然としたベッド
(下)俺のベッド
スーパーで食材を仕入れ、この宿のスタッフに寄せ鍋を作ってみた。
材料は、鳥肉、豚肉、白身魚、ネギ、白菜、キノコ。
ダシとして、ほんだしカツオ風味+現地の干し魚まるまる一匹。これに醤油、砂糖、塩を少々、それとショウガをみじん切りにして、さらに赤トウガラシを加えて、少しホットな鍋にしてみた。それと米を別に炊いた。寄せ鍋は簡単に出来て大勢で楽しめ、かつかなり日本的だから、国際交流の食事メニューとしてはベストだと思うんだがどうだろう?
 われながら美味くできたよ。
そのあとは、いつものように夜の街へ繰り出した。














9月17日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT

 今日はこのホステルの地下(シャワー室とコンピュータールーム、談話室になる予定)の工事を受け持っているアレクサンドラ(ニックネームはサーシャ)の実家に連れて行ってもらった。今日は日曜日だから、工事は休みなのだ。
 なんでそういう話になったかというと、昨日鍋を食ってた時に日本のシンボルの一つ、鶴の話になって、するとアレクサンドラが「鶴なら俺の家の隣に巣を作ってるよ」と言ったので、連れていってもらうことにしたのだ。
 ヴィリニュス中心部からバスで西に行く事30分、農地と牧草地が広々と続く彼の故郷へと降り立った。

残念ながら鶴はちょうど南方へ飛びたった後で、その姿を見ることは出来なかったが、巣は見た。
そしてアレクサンドラはここに住んでいた鶴にまつわるエピソードを教えてくれた。
 ここに住んでいた鶴はもともとツガイだったが、ある日オスのほうが高圧電線に触れて死んでしまった。メスは嘆き悲しみ、その後に他のオスがどんなに求愛行動をとってもなびかず、独り身で通していたそうだ。アレクサンドラは英語が全くしゃべれないので、身振り手振りで必死に説明してくれた。

鶴の巣見学の後は、牧場や森を歩いて、さながら「農場で自然と触れ合おう一日体験ツアー」だった。
厩舎の馬たちに餌をやり、井戸の水を汲み、サヤエンドウやニンジン、ヒマワリの種を生でかじり、そして山羊の乳。飲んだ瞬間は牛乳よりもちょっと臭いがあって濃いな、というぐらいのもんだったが、その後何時間もゲップをするごとにすごい臭いが胃から上がってきて閉口したよ。
 山羊の乳とならんで面白かったのが、アリの蜜なめ。森に入ると一つの小さな蟻塚があり、おびただしい数のアリが働いている。蟻塚の上に舐めて唾をつけた小枝を置いて一分ほど待つと、そこに蟻が群がってくる。頃合を見て、アリが群がってポッキーのようになっている小枝を手に取り、アリを振り払う。そしてその小枝を舐めると、少し甘くかなりすっぱいアリの蜜?それとも唾?が賞味できると言うわけだ。これは美味いかどうかはともかく、すごく栄養があるんだぜとアレクサンドラはチカラコブを作って示してくれた。




9月18日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

ヒマだから宿を発つバックパッカ−をいちいち見送っていたよ
朝、日本大使館に電話をしたら、「バイクの部品は届いているが、こちらでは個人の郵便物は預からない事にしてるので、申し訳ないが郵便局まで取りに行ってくれ」と言われた。冷たいやつめとは思ったが、ちゃんとリトアニアまで届いているのを確認できたからまあ良しとしよう。午後に郵便局のEMS(国際宅急便)集配所まで取りに行き無事ゲット(実際は言葉が通じなくてけっこう難儀したんだけど)。
 これで明日、あらかじめ見つけて訳を話しているバイク屋に行って交換するだけだ。

話は前後するが、この部品(前スプロケット)を送ってくれたのは、インターネットと通じて知り合った、京都のバイクショップに勤めるO氏。EMSは一週間で到着、送料は2400円。ついでにオイルフィルターや、その他の小物も送ってもらった(レイドに合うオイルフィルターはなかなかヨーロッパでは入手しにくいのだ)。

今日その後は、何してたかなあ・・・宿でだべったり、メシを食ったり・・・・夜は当然飲みに行って。
 それにしても、ガイジンのバックパッカ-は感心するほどよく飲みに行き、かつそこでむちゃくちゃよくしゃべる。日本でもおしゃべりな人はいっぱいいるが、ガイジンバックパッカ−はほぼ全員がおしゃべり。飲んでいる間も沈黙が全くと言っていいほどない。それが夜中の2時3時4時5時ごろまで当たり前のように続く。
 特にオーストラリア、アメリカ、イギリスなどの英語ネイティブスピーカー、またネイティブに近い北欧やオランダ人に囲まれた時は、俺はかなり苦戦する。一対一の時は手加減して話してくれる彼らも、集団での会話となると俄然スピードアップするからだ。それでも今の俺のアドバンテージは、バイクでユーラシア横断を目指しているという特殊性、それもあの(あんまり休まない)日本人が、という意外性が、彼らの興味をそそり、俺を蚊帳の外に追いやる事を防いでいるのだ。

彼らが良くしゃべる理由は、まず国民性というのはもちろんあるんだろうが、一番大きいのは、やはり自分の国の言葉で、他の国の人と、お互いの国や生活、文化について話せることじゃないのかな。話の中身を聞いてても、「俺の国ではこうこうだが、君の国ではどうだ?」のような応酬がけっこう多い。もし俺ももっと自由に英語を使いこなせたら、彼らに伝えたい事は山ほどあるんだけどね。

そうそう、それと地元テレビにパートタイムとして働いているという女の学生が訊ねてきて、明日かあさって取材したいと申し込んできた。ホステルオーナーのリビウスがチクッたようだ。彼女は俺の取材と同時に、俺が作る日本食も取材したいという。おいおいまた寄せ鍋かい、と思ったが、こういうのもいい経験には間違いない。別に断る理由もないので引き受けた。これで旅行をはじめてからマスコミ取材は3回目だわ。



9月19日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

左が新品、右が古いやつ
朝イチでバイク屋に行きスプロケットの交換。なぜ自分で交換しなかったかと言うと、フロントスプロケットの交換には30mmの特大レンチが必要で、俺はそれを持っていないから。
 古いスプロケットを取り出してみると、山は半分ぐらいの大きさに、そして山の先端は刃物のように尖ってしまっていた。こんな危ない状態でので何日も走っていたのだ。
 ついでにエンジンオイルとオイルフィルターも交換して80Lt。
 当たり前だが交換したらうそのようにスムーズに走るようになった。思いっきり発進しても空回りしない。なんだかやけに嬉しくなり宿への帰り道もガンガンふかしまくって運転した。これでしばらくは一安心だが、もうこんなことは真っ平ごめんなので、リヤスプロケットとチェーンも早めに替えとこうと思っている。

帰宅したら昨日取材を申し込んできた女からメッセージが入っており、今日の午後に取材したいと言う。おれもその方が都合が良いからOKする。取材は午後3時からと言う事なので、俺は彼女のリクエスト通りに再度寄せ鍋を作るべく、スーパーへ買い物に。向こうからのリクエストなので当然費用も向こう持ちだろう。俺は同宿のユリカについて来てもらって寄せ鍋材料の他にビール10本と料理用のでかい鍋(宿には一つしかなかったからね)、米などをしこたま買い込んだ。寄せ鍋の具も5人分ぐらい買った、と言うのは取材陣が帰った後、宿に泊まっている人間に「日本の味」を教えてやろうと思ったからだ。それでも鍋とかも全部込みで60Lt程度。まあ安いもんだよ。

約束の3時を30分ほどオーバーして彼らはやってきた。といっても昨日の女とカメラマンの二人。
先ずは俺がホステルにバイクで出入りする所を撮影。その後は俺の寄せ鍋を囲んでの取材となったが、彼女は学生のパートタイマ−、取材にあんまり慣れていない様子で、且つその後の予定が入っているらしく、何かやたらと時間を気にしているのでこっちの方が気を使ってしまった。また俺の目から見て、彼女が何を取材したいのか、ポイントが良くわからない。俺の旅のことか、それとも寄せ鍋の事か?たぶんどっちもなんだろうが、一時間やそこらで人に寄せ鍋を作らせて且つ旅の話をさせるのはちと予定が窮屈過ぎないか?
俺は鍋の火加減は見ないといけないわ、給仕はしないといけないわ、且つカメラにポーズをとったり、(それもフォークを二本さかさまに持ち、箸のようにして寄せ鍋を食ってるところをカメラにとるんだ。日本人がいつもこんな食い方をしてると思われたらどうすんだ!?)、インタビューに答えたり、なんで取材される側の俺がこんなに忙しい目をしないといけないのか良くわからなくなってきた。

左から、ダグラス、ユリカ、ユラテ、レイモンダ、俺
 一時間ほど猛スピードで取材を終え、帰り際にこれが費用だと言ってスーパーのレシートを渡すと、これはうちで支払えないと言う。これはそっちが申し込んできた取材で、寄せ鍋もあんたのリクエストじゃないのか?と言ったら、一応考えて上司に相談すると言う。そういうのは普通会社側のコストだと教えてやったが、まあ相手は学生だからあんまり分かってないだろう。まあ別に2000円程度の金が惜しい訳ではないが、彼らを迎えるために二時間も前から買いものに行ったり調理をしたり忙しい目をして、そして費用までこっち持ちかい、と思ったらなんかあほらしくなってきてね。
 まあでも、取材後に同宿の旅人に鍋とごはん、ビールを開放したら、みんなうまいうまいと言ってピラニアのようになり、鍋は瞬く間に空になってしまった。キッチンで仕込みをしてる時に、ある女性バックパッカ−から「あなたが(噂に聞く)日本の料理人なの?」と聞かれた時も笑ってしまったが、実際に食ってるときもオーストラリアの元シェフ、ダグラスから「まあ、悪くないよ」と言われた時はけっこう嬉しかったね。

でももっと嬉しかったのは、その後に宿のスタッフの女の子たちが俺とダグラスにメキシコ料理のチリを作ってくれたこと。メキシコ料理らしいパンチはあんまり効いてなかったが、買った唐辛子が辛くなかったから仕方がない。それを除けば合格点、それも何十人もの宿泊客の中で、俺達二人の為だけに作ってくれたのが泣かせるじゃないか!
 俺はそのお礼に、彼女たちに漢字の名前をつけ、その意味を教えてやった。ユリカは日本語にあるので簡単「友里香」、レイモンダは「麗門多」というように。男のダグラスには「駄愚裸巣」を命名。それぞれの言葉の意味を教えてやったらみんな喜んでたよ(ダグラスはすねたよ)。





9月20日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

「出発の日は雨」このジンクスは今日も健在であった。夜半からシトシトと降り始め、午前中いっぱい降り続いた。ここまで長居したら、もう一泊するのも変わらんだろう。それにもう何日もこのレポートを書いてないからそろそろまとめ書きしとかないと忘れてしまう。と言う事であっさり延泊。
 ただレポート書きは一向に進まない。俺は乾燥室のかわりにもなっていて暖かい地下の大きな部屋をネグラにしている。ここは普段は客用の部屋ではないんだが、広いしテーブルもあって作業にはもってこいなので、頼んでここに寝かせてもらっている。この地下室に入れ替わり立ち替わり人が入ってきて話し掛けて来るので、結局寝る前までほとんど何にも書けなかった。近くのインターネットカフェで場所だけ借りて「執筆活動」に専念することもできるのだが、ただこの旅行の目的は書くことではないし、こういうコミュニケーションの機会を自ら遠くに追いやっていたのでは本末転倒だから、俺も途中からパソコンをしまったけどね。

 ここの宿のオーナーはリビウ。長身痩躯に長髪髭面、そしてやさしい眼差しはまるでキリストのようだ。実際、数年前に宿をオープンした時、一年目はベッドを無料開放したそうで、その時はヴィリニュスのジーザスと呼ばれていたらしい。ただ、眼差しはやさしいが経歴はちょっと言えないほどすごい。
 そのリビウは実は俺と同い年の35歳、且つ同じ12月生まれ。考え方もちょっと似ているところがあって、けっこう気が合う。今日の夜も一緒に飲み、ユリカの作ってくれたサンドイッチを食べながらいろいろ話した。彼は今のホステルの隣地を買い増し、もっと大きく、レストランも作りたいと語った。前向きな人間と話をするのは気持ちがいい。聞いているだけでこっちまで楽しく、わくわくしてくる。俺達は「12月クラブ」を作ろうという話で盛り上がった。作って何をするのと言われても困るが、仮にクラブを抜きにしても、なんとなく彼とはなんかの縁でまた会いそうな気がする。そんな気が大いにするね。
 
俺はこのホステルの玄関先に置く大きな灰皿をプレゼントした。実はスーパーで買った植木鉢なんだが、これが玄関先がタバコの吸殻で見苦しくなるのを防いでいる。鉢には俺の名前とこのWEBサイトのURLを書いてるから、もしこれを見た人がオールド・タウン・ホステルを訪れたら確認してみてね。




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