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9月11日 ラトビア  Ogre / 街道沿いの安ホテル(10LS)

リーガ湾沿いの主要道(エストニア、ラトビア間)
 今日も厳しい走行が続く。
昨日までは発進時、また低速でのギアチェンジ時だけに起こっていた異音とチェーンの空回りが、今日は巡航中に、ちょっとした登り坂などでアクセルを少し開けただけでも起こるようになってきた。磨耗し出すと本当に早い。
 今日も進む方向はほぼ南、パルヌからリーガ湾沿いに黙々と走る。途中、道路がしばしば海岸線に肉薄し、美しい砂浜が間近に見える。ただ海の水は茶色がかった濁った色である。
 この沖合いを、100年近く前、ロジェストヴェンスキー長官率いるバルチック艦隊が日本海目指して進んでいったのか。それにしてもはるばる地球を半周して戦争しにいくなんて、乗組員も気が進まなかったろうな。航海だけで疲れ果て、それでもやっと対馬までたどりついたと思ったら、手ぐすね引いて待っていた連合艦隊にぼこぼこにされて全滅。それが戦争だと言ってしまえばそれまでだが、彼らの運命だけを取り上げればお気の毒にとしか言いようがないよね。

 途中、エストニア共和国からラトビア共和国への越境。エストニア出国ではチェックはないが、ラトビア入管でパスポート、バイク登録証書のチェック、そしてグリーンカード(外国人運転者のための自賠責保険)の購入を求められた。保険は15日間有効の8.3リット。レートは良くわからないが、対USドルレートから推測すると1300円ぐらいか?
 ラトビアに入っても、同じような松林の広い道が続く。スプロケの磨耗により厳しい走行状況で、唯一幸いしているのがバルト諸国の地形。ほとんどフラットで山などないのでアクセルを一定に保ちやすい。道路も真っ直ぐ、車も少ないし、おとなしく巡航している限りはまだしばらくは持つだろう。
 慎重走行のおかげで、リッター34キロという超低燃費となった(普段は27キロ程度)。

ただ首都リーガに入ってからはよろしくない。
リーガは人口も80万で、バルト三国ではダントツの大都市、当たり前だが車が多い、信号が多い。そして悪い事に車のマナーもよろしくない。指示器も出さずに急に追い越しをかけたりするから要注意だ。
 信号で止まり、また発進を繰り返す。田舎道と違って前後に車がいるのでマイペースでゆっくり発進させられず、足元から頻繁にガリガリ、ガリガリと嫌な音が聞こえ、バイクが空回りする。助けて〜!
 そしてこういう時に悪い事は重なるもんで、ほぼ市内の中心に乗り入れた頃、一台の車がやたらとしつこく幅寄せしてくる。なんだと思って見ると、向こうもこっちを見て手招きしているので、俺はまた何か落としたのを教えてくれてるのかと思い車に近づいたら、いきなり持っていたゴミを投げつけやがった。なんだこいつ!

車の中には二人乗ってて、どっちも程度の悪そうな顔つきでニヤニヤしてやがる。その後もしつこくスピードを落として俺の進路を妨害し続ける、こいつらはネオナチか?バイクが元気だったら、フェンダーに一発ケリでも入れてそのまま渋滞の脇をすり抜けて逃げていけるのだが、今はちょっとでもアクセルをふかしたくない。やむなく途中からメイン通りを外れて脇道でしばらく待機し、ほとぼりの冷めた頃に再び表通りに出て走り出した。
 バイクの状況がさらに悪くなってきたのと、また変な奴に出会ったらたまらんから、市内中心部に宿泊するのを止めて、さらに40キロほど進んだOgreという小さい町の安ホテルに宿を取った。
 やはりバイクは常にいい状態で走らさないと、有事に対応できないな。知らない土地を走る時はなおさらだ。




9月12日 ラトビア Ogre / 街道沿いの安ホテル(10LS)

市電を待つ人々あと、リーガには
懐かしいトロリーバスも走っている
昨日日露戦争で敗れたバルチック艦隊の事を書いたけど、今日ガイドブックを読んでて、彼らが出発したのは実は昨日通った所からもっと南の、ラトビアの南海岸の町リエパーヤ(旧名リバウ)だった事が判明した。
でもせっかく書いたのを削除するのももったいないし、俺がそゆことを考えたのは事実だから、そのまま載せとくよ。

さて今日は、バイクを置いてリーガの市内観光へ。ウォグレの町から電車で約40分、リーガ駅に着いたら「地球の歩き方」片手に町を歩き回る。聖ヨハネ教会、聖ペテロ教会、リーガ大聖堂、リーガ城、三人兄弟、スウェーデン門、稜堡の丘、等々。大部分の見所が集まっている旧市街は、かなりきれいに保存されていて、車両規制もされているのでタリン同様歩きやすい。昨日バイクで通りかかった時の、新市街の猥雑な雰囲気とはだいぶ違う。だからリーガをより公正に見ようと思ったら、旧市街の東側に展開する新市街も歩かないといけないのだろうが、時間もないので今回はスキップだ。

町歩きの楽しみの一つは市場。西欧・北欧の多くの都市では、日本と同じくスーパーマーケットに取って代わられているので、市場歩きができるのは久しぶりの事だ。中央市場の大きな建物内には主に肉類や乳製品の店が、そして建物の外には、果物、野菜、日用品、靴、花などの市がかなり大きな規模で立っている。
 同業者が一つ所に何十軒も入っている市場で、すました顔をしていたら絶対売れない。だから市場は笑顔の
聖ペテロ教会の塔の上から撮影したリーガ旧市街
市場であるとも言える。歩いていると、一目で旅行者とわかる俺にさえ、しばしば声がかかり、「これうまいよ、一寸味見してみ」と、おばちゃんがチーズの一片をくれたりする。
 とくに季節柄、キノコの即席市があちこちに立っている。たぶん朝、森の中に入って取って来て、午後に売ってるのだろう。家族で売りに来たような、素人っぽいキノコ商人が電卓片手にむづかしい顔して商談してるのを見てたら思わず吹き出しそうになってしまうね。

市場内には、惣菜屋もいくつか入っており、美味しそうなのをつまみ食いするのも楽しい一時。エストニアでも思ったんだが、バルト三国に入ってから、惣菜のレベルが西欧よりぐんと上がったのも嬉しい事の一つ。今日は(たぶん)鯨肉のハンバーグや、ニンニクの効いた五目チャーハン、ソーセージ、野菜炒めなどを買い食いしながら一本60円ぐらいのビンビールと一緒に舌づつみ。
 あと値段の方は、野菜が1キロ0.05〜0.3リット(約10〜50円)だった。キノコは倍ぐらいだったかな。ビールやタバコも西欧より劇的に安い。





9月13日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

 今日も細心の注意を払いながらの走行でリトアニアの首都ヴィリニュスまで300キロ強。
途中Bauskaという町でメシを食い(これがけっこう旨かった。ふらっと入ったレストランなんだが、豚のピカタっていうのかな、それと焼飯、キノコのスープとボリュームも味も満足。600円弱)、そこから十数キロ南の国境へ。
リトアニアのイミグレは、エストニア、ラトビアより少し簡素化しており、パスポート押印はなかった。
 その後さらに南へ走る。いつもなら途中で脇道にそれていろいろと見て回るんだが、今は出来るだけバイクに負荷をかけたくないのでただ真っ直ぐな道を人間オートドライブ状態で走る。いや面白くないよ、こういうのは。

リトアニアの首都Viliniusに着いてから、街中でちょっと迷った後、旧市街のユースへ落ち着いた。
ちょっと迷ったって言っても実はいろいろあってかなり迷って、そしヴィリニュスはけっこう坂が多いから調子の悪いバイクでの宿探しはなおさら苦しくて、泣きたくなるぐらい大変だったんだけど、まあ最終的には宿にたどり着けたからOKだ。宿に着いた後、同宿のドイツ人カップル、リチャードとコニーと一緒にメシを食いにいって、それはけっこう楽しくてメシもまあまあ美味かったから、最終的にはそんなに悪くない一日となったんだけどね。




9月14日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

国会議事堂(後)とバリケードの一部
ヴィリニュス観光。
ユースで同宿の博多ッ子バックパッカー君と一緒に雨の町をてくてく歩いたよ。
ブッフェ式レストランで腹ごしらえをした後、まずは国会議事堂へ。ここは91年1月、何万人という市民が集まってソ連の戦車部隊から議会を守ったという場所。テレビでも大々的に報じられたこの歴史的な場所に一度行ってみたかった。ここでソ連の戦車を身を呈して止めようとして何人もの人が命を落とした。
議事堂の前には、当時のコンクリートのバリケードが一部残されている。その手前には鉄筋の角材と鉄格子。
その後はKGB拷問博物館とユダヤ人虐殺博物館。どちらも生生しい写真付きで、今日の観光はとっても重たかったが、こういう過去の事実を後に伝えることは間違いなく重要なことだろう。





9月15日 リトアニア Vilinius / Old Town YHA (32LT)

ユダヤ虐殺博物館より
 すぐ書くからちょっと待ってて!




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