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7月26日 フランス Paris / Yves君のアパート (ただ)

いちばん気に入った一点。
ルノアール、やったかな?
朝はアパートでうだうだ、昼過ぎからオルセー美術館へ行った。この旅行の出だしはパリだったが、美術館はルーブルしか行かなかったのでちょうど良い機会だった。ルーブルよりもだいぶこじんまりしてて手頃。ゴーギャン、マネ、モネ、ルノアールなど有名どころが多く、宗教画がないのも俺をあんまり疲れさせなかった。

夜は、3月に世話になったYve君や彼の友達と待ち合わせ、オペラを見に行く(100F)。
オペラと言っても本格的なやつじゃなく、サンバ風にアレンジしたちょっと変なやつだった。題目はカルメン。当然全部フランス語だから何を言ってるのか全然わからんかったけど、歌も踊りもあるので結構楽しめた。
でも途中で客がけっこう帰っていったので、実はへたくそだったんだと思う。

舞台が終わり、みんなで飯を食って、その後はそのままYve君の家に泊めてもらうことにした。昨日泊まったKarim君ちは今日彼女が来ると言うので、荷物だけそのまま置かしてもらうことにした。夜中二時半頃、4ヶ月振りに懐かしい家に戻ってきた。




7月27日 ベルギー アントワープ / ホテル(1300BF)

Karim君のアパートにて
今日はホントにつらい一日だった。
昼前にKarim君のアパートを出発する時から怪しい雲行きだったんだけど、走り出したら案の定降りだした。それもLilleを通過する頃にはバケツをひっくり返したよな強烈な雨になり、道路もところどころ川のようになっててマジで水没しそうになった時もあった。
結局、目的地のアントワープに着くまで約400キロ弱、ずっと降りっぱなしで、我ながらよく我慢して走ったなと自分で自分を誉めてあげたい気分です。

服や荷物も水びたし、カバンの中までぐしょぐしょになったので、ドミなんかにはうっとうしくてとても泊まれない。適当な安ホテルを探しあて8時ごろにチェックインすると、しばらくしたらいつもの如く雨がやんだ。
濡れた荷物をカバンから出して部屋の中に並べたら足の踏み場がなくなった。このままフリーマーケットに店を出せますわ。地図とガイドブックまでびしょ濡れになったのが痛い。本って乾きにくいからねえ。

シャワーを浴びて一息ついた後、となりのハンバーガー屋へ飯を食いに行った。
ここでちょっとないような経験をした。
そこはどこでもあるようなハンバーガーのチェーン店で(といってもマクドナルドやバーガーキングとかではなく、多分ベルギーか近隣国だけのチェーンだと思う)、これまたどこでもあるようなチーズバーガーとポテトとコーラを注文して金を払おうとした。勘定は235フラン。
 俺は5月に一度ベルギーを通過しているので、その時に使い切れなかった100フラン札二枚と、今朝Yves君から「もう要らないから」ともらった100フラン札一枚をカウンターのおねえちゃんに渡した。するとおねえちゃんはYves君からもらった方の100フラン札をいぶかしげに眺め、「これは古い札だからもう使えないのよ」と俺に言った。
なに?とよく見ると確かに同じ100フラン札だがデザインが違う。Yves君は相当昔にベルギーに来たようだな。といって俺が持ち合わせているのは自分の100フラン二枚ともらった使えない旧100フラン二枚、それと小銭が少々だけ。小銭を数えてみると30フランほどしかなく、これをあわせても230フラン。わずかにバーガーセットの価格に届かない。さてどうしよう?とその時、店員の一人が意外なことを言った。なんだと思う?

実は俺は、ほんのわずか金が足りないと分かった時点で、不足分を負けてくれる事を期待した。しかし彼らが言った事は、
 「あげるよ」
なんと彼らは俺から1銭も取らなかった。なんでかはわからない。たぶん店員の気分がよかったのか、それとも俺がよっぽど貧乏に見えてかわいそうに思ったのか?まったく意外な展開に、「ありがとう」と言ってトレーを持って席に着いてからもしばしキツネにつままれた感じだった。
不思議だと思わへん?それもマニュアル化されてるようなチェーン店の話やで。



7月28日 オランダ アムステルダム / Marriott Amsterdam

昨日は相当疲れてたのか、今日目が覚めたらすでに10時40分、チェックアウトまで20分しかない。以前レイトチャージを取られた苦い経験があるからあわててパッキングに入るも、昨夜雨で濡れた荷物を乾かすために部屋中に服やキャンプ道具、工具などをばら撒いてあるので大変だ。
しかしやる気になればなんとかなるもんで、11時ちょっとすぎにはなんとかかんとかまとまった。少し遅れたものの今回はセーフ。荷物をホテルに預けてアントワープ見学へ出かけた。

ここで有名なのは、何と言っても「フランダースの犬」のネロも見たという、ルーベンスの絵がかかっている大聖堂だろう。
70フラン支払って中へ入る。広い聖堂の中の向かって右側に、その絵はあった。マリア様が大勢の赤ちゃん天使に囲まれて天に向かっている。色彩といい、すごく幻想的で、ネロでなくとも昇天してしまいそうな作品だ。聖堂内には、他にもルーベンスによるキリストの磔前、磔後の絵が聖堂の左右に展示されているし、ステンドグラスもいろんなパターンがあってけっこう美しい。最初は教会のくせに金取りやがってと思ったが、それだけの価値はあるだろう。

3時ごろから出発、アムステルダムへ向かう。
ベネルクスという事で、ベルギーからオランダへの入国も特になんにもなく(というよりいつオランダに入ったのかほとんど分からなかった。)、二時間ちょっとでアムステルダムへ到着。
オランダ領に入ってから、ちらちらとGPSの高度計を見た。オランダは社会で習ったように海抜0m地帯が多いので、実際どれくらい低いのかチェックしてみたかったからだ。
GPSの示した数値では、アムステルダムからまだ10キロ以上内陸の地点で既に0mとなり、それから海に近づくにつれ、さらにだんだん低くなっていった。そして一番低いところはマイナス5m。たしかにここはNEDERLAND(低い土地)に違いない。



7月29日 オランダ アムステルダム / Marriott Amsterdam

生ニシンをパンに乗せて食うという料理
アムステルダム観光の基本通りに歩く。国立美術館、ゴッホ美術館、アンネ=フランクの家の3箇所である。
国立美術館には中世から近代にかけての絵画や彫刻の他に、日本の浮世絵や陶器、掛軸、刀なども多数展示されている。主に16世紀から18世紀にかけてのモノが多く、日本の鎖国時代、ヨーロッパで唯一の交易国だったオランダならではのコレクションだろう。他に、中国や、その他東南アジアあたりから持ってきたと思われる仏像なども多数ある。これらもやっぱり例の東インド会社の"ビジネス"の賜物なのだろう。

市内移動にトラム「路面電車」を多用したが、料金の支払い方が分からなかったので、無銭乗車を繰り返し、結局最後まで一回も金を払わなかった。でも周りの人間も払ってないやつもけっこういたような気が・・・ワンマンカーの運転手も全然無頓着だし。



7月30日 オランダ Groningen / Simplon Jongerenhotel (23G)

アムステルダムから北へ取り、ノールホラントから大堤防を渡り、フリースラントを経てフローニンゲンへ至る。
さすがオランダだけあって見晴らしが極端にいい。起伏というものがまるでないからだ。見渡す限り農地と牧草地、そして張り巡らされている運河と用水路は直線的で、なんともシンプルな風景だ。こういうところに住んでると、性格もシンプルになってくるんじゃないか?

たいしたもんだと感心するのが大堤防。フリーシア諸島の内側、ワイデン海に約30キロに渡って長大な堤防が築かれ、その上の国道を走ってオランダ北東部のフローニンゲンへ渡ったのだが、30キロほぼ直線、両側が海(実際は内側はすでに淡水化して湖となっているが)という道も珍しいのではないかな。まるで博多の「海の中道」の巨大版だ。でかいバイクが気持ちよさそうにぶっ飛ばしてた。

今日は出発してアムステルダムから郊外へ出る時も、ホステルを探す時も、さんざん迷って何度も人に道を聞いが、ほぼ全員ちゃんとした英語をしゃべってくれるので、とてもありがたい。それもそのはず、オランダ語って英語とすごく似てるから、オランダ人はほとんど勉強しなくてもしゃべれるようになるんじゃないかな?
たとえば・・・


7月31日 ドイツ  Hamburg / Schweriner Hof (65DM)

夜のハンブルグ駅
昨日はフローニンゲンのドミトリーに泊まった。倉庫跡のような、やたらだだっ広い部屋に二段ベッドが15台ほども入っているだろうか。なんとも殺風景な宿で自炊設備もないのだが、オランダにはあんまり安宿がない様で、他に選択肢がなかったからしょうがない。
 この部屋で夜中、「グゴゲーーー」と誰かが突然奇声をあげた。かなり大きな声だったので、たぶん部屋の人間全員が起きたことだろう。俺はてっきり野郎の寝言だと思ってたが、朝、ドイツから来た17歳の女の子が寄ってきて、「昨日起きたでしょ、ごめんなさい。わたしが叫んだのよ、夢にうなされて」とけらけら笑いながらあやまった。
すごくかわいらしいブロンドの娘で、どう考えても夜中の「グゴゲー」の発信源とは信じられない。彼女は他の友達3人と夏休みを利用して隣国オランダに遊びに来ているらしい。他の宿泊客にもはちきれんばかりの笑顔となめらかな英語で謝って回ってたのがとてもすがすがしく感じられた。

宿をチェックアウトして、フローニンゲンの波止場でいつものパンと鰯缶の即席サンドイッチを食った。少し離れて地元のOLらしい大柄の女性が芝生に座って休憩している。とそこへ、足元もおぼつかない酔っ払いのおっさんが、ボトルを手にしてふらふらと寄ってきた。
二言三言、女性と立ち話した後、座って本格的に話しだした。そしてしばらくしすると女性が俺に「どこからきたの?」と声を掛けてきて、以後15分ほど3人での会話となった。酔っ払いの話す英語は俺にはほとんどわからなかったので、その都度女性が通訳してくれて会話はすすんだ。
 たいしたもんだと感心したのは、いかにも汚なそうな浮浪者風のヨッパライを女性がちゃんと相手にしてやってること。これが日本の女なら、まず無視するか場所を移動するだろう。その態度がなんとも大人で、これもまたすがすがしい。

その後東へ300キロ強進み、ドイツ北部の大都市ハンブルクへ入る。安宿を探しているうちに、どうもかなりいかがわしいエリアに足を踏み入れてしまったようだ。"Sex shop"とか"Peep"とかの看板が氾濫し、広い道路の両側にはいかにもそれらしい女たちが等間隔で立っている。ひょっとしてここが「ロンプラ」に書いてある"Red light Area"のことなのか!? 歌舞伎町をちょっと換算とさせた感じだ。
しかし同時にこのエリアは安宿エリアでもあるらしく、小規模なホテルが林立し、安くてうまいトルコ料理のレストランもあるので、今日はここで宿を取る事に決めた。
 宿の情報を取るために、立っている女の一人に接触した。たぶん彼女らの仕事場だろうから、よく知ってるんじゃないかと思ったんだ。「この一角で、安くてキレイなホテルない?」
女はとても商売風とはかけ離れたきちんとした話し方で、「この道沿いに真っ直ぐ歩いていくと、○○というホテルがあって、そこは一泊65マルクでそこそこいいわよ」、と教えてくれた。そのしゃべり方があんまりにもきちんとしてたのでさては普通の女かとも思ったが、もしそうなら俺の質問にこんなに的確には答えられないだろう。これにもまた、意外なすがすがしさを感じた。


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