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7月1日 北アイルランド(UK) Belfast / Arnie's Backpackers Hostel (£8.5)

同室のガイとヘレンフランス人らしからず
えらくフレンドリーなカップルでした
 とりあえずベルファストまで走って宿さがし。
英語圏のバックパッカ-達が愛用する例の青い本を開き、先頭に書いてあるホステルへと向かった。俺は当日の場合、前もって電話で空きベッドを確認せず直接宿へ向かう事が多い。直接顔を突き合わせて確認した方が相手もまじめに空きを探してくれそうだからだ。実際、偶然かもしれないが、電話をして断られたことは何回もあるが、直接乗り込んで宿を確保できなかったためしはほとんどない。

青い本には、「この宿は人気があるがベッドが少ないのでしばしば満杯」と書いてあるが、行ってみると案の定、きょう一日だけ空きがあった。明日は満杯らしいが多分キャンセルがでるので連箔できるだろう。
部屋は3人部屋の3段ベッドの一番上。(3段ベッドというのも初めて。ほとんど天井にくっついてるぞ)
なるほどここは小さい。部屋は4部屋でベッドは19、シャワーはただ一つだけ。ヨーロッパの大きなホステルではたいがい備えているパソコンもインターネットもここにはない。顧客管理もとうぜんノートへの手書きだ。
しかしもっとも大きな違いは、チェックしたあとに、主人のアーニーが、「お茶かコーヒー、どっちがいい?」と、自らサービスしてくれた事。こういうちょっとした事がけっこう嬉しかったりするんだな。

夜になったらやっぱり酒。同室のフランス人カップルと一緒に町へ繰り出した。
何軒かチェックした後、木造で二階建ての感じのいいパブにはいった。ここのライブはたいしたことなかったが、一緒のフレンチカップルや、相席になった地元のアイリッシュたちと大いに盛り上がり、調子に乗ってギネスとアイリッシュウイスキーをちゃんぽんしたのでしこたま酔っ払った。でも楽しかったでえ。


7月2日 北アイルランド(UK) Belfast / Arnie's Backpackers Hostel (£8.5)

ゴール前の攻防
今日は日曜日。昨日パブで教えてもらった通り、ベルファスト郊外のスタジアムに足を運ぶ。ゲーリックフットボールの試合を見るためだ。先々週にハーリングを見たので、やっぱりこっちも見とかないと片手落ちだからな。チケットを買って(£7のテラス席)バイクを停めるところを探そうとしていると、警備のおっちゃんが寄って来て、道路向かいの家を指差して言う。「バイクを停めるんだったら、あの家の庭に停めたらいいよ。俺の友達なんだ。」おいおいほんとにいいのかよとまごついていたら、おっちゃんは家のベルを鳴らして「日本のツーリストがフットボールを見に来たからバイクを停めさせてやってくれ」と言ってくれたので好意に甘える事にした。

屋台のハンバーガーを買ってスタジアムに入ると、これまたけっこう広い。俺の席は指定ではなくいわゆる立見席だ。このスタジアムは大部分が立見席で(別に座っても見れるんだが、ほとんどの観客は立って見ている)、試合時間が迫るにつれてどんどん客は増え30分前ごろにはほぼ満席となった。
今日の試合はDerry対Antrim。どちらも北アイルランドのチームで、なんでも今日の試合はブロックの優勝決定戦らしい。ここは北アイルランドでUKに属してるんだけど、でもハーリング、ゲーリックフットボールともプロリーグは全アイルランドで組織されている。だからスタジアムのセンターポールには、ユニオンジャックではなく緑・白・オレンジの南アイルランド(アイルランド共和国)国旗がなびいているのだ。
 前座のアマチュアハーリングの試合の後、いよいよメインイベント。スタジアムから選手がでてくるなり両チームのファンからものすごい歓声が沸き起こる。なんと今日は南アイルランドの大統領が見に来ており挨拶の言葉を述べた。いやがおうにも雰囲気は盛り上がる。選手とブラスバンドの場内行進、若干のセレモニーの後いざ試合開始、と言う時に悲報が飛び込んできた。

開始直前、場内アナウンスメントがごく簡単な、しかし悲痛なニュースを流し、場内がどよめいた。
 "Joey Dunlop was killed this morning"」
えっ?俺は一瞬耳を疑った。俺のヒアリングはベリーバッドなので、となりのおばちゃんに今なんと言ったか確認してみたが、こういうときに限って聞き間違えてない。俺は彼の勇姿を数週間前にマン島TTレースで見て、すごいおっさんだと好きになっていたのになんということだろう。
 続いてアイルランド国歌の演奏。試合前のセレモニーなのだろうが、彼の死を悼むように観客がか細い声で和している(本当はアイルランド語の歌詞がついている国歌を北アイルランドの人々はあんまり知らないのだろう)。
UK領でのアイルランド国歌、試合前の異様な興奮状態、そして突然の悲しい知らせ、極めて特殊な状況がいくつも重なり現実感覚がなくなってゆく。体が宙に浮いたような感じでぼーっと国歌を聴いていたらなぜか涙が・・・


7月3日 北アイルランド(UK) Belfast / Arnie's Backpackers Hostel (£8.5)

プロテスタント居住区内の小僧
そういえば昨日フットボールのことを書くのを忘れた。
前にも書いたかもしれないけど、ゲーリックフットボールは現在オーストラリアで人気のあるオージールールズの先祖とも言うべきスポーツで、ルールやボールの扱い方、進め方がよく似ている。
各チーム15人のプレーヤーはボールを蹴るか、バレーのアンダーサーブの要領でボールをパンチして味方選手にパスする。また自分で走ってゴールに向かっても良いが、連続しては走れないので(何歩か、または何メートルかまで走れると決まっているんだがよくわからなかった)、一度地面にバウンドさせるか、ちょん蹴りのように足に当ててから再度走るという要領。
 フィールドやゴールはハーリングと共通で、得点もハーリングと同じくキックがバーの下のネット部分に入れば3点、バーの上に蹴り上げれば1点が入る(パンチでも可)。守り方もハーリングと同じく完全なマンツーマン。オフサイドの反則がないので、マンツーマンにならざるを得ないのだろう。

俺の両横はDerryのファンだったので、俺もDerryを応援する事にした。幸い、二週間前のハーリングと同じように応援している方が大勝。お隣さんはまたしても大満足。そして俺にいろいろ解説してくれた。ゲーリックフットボールは直接手で扱える場面が多いので、ハーリングよりも展開がバラエティに富んでおりかつスピーディでより面白かった。

ただ一つ、素人ながら改善した方がいいと思ったのは得点の配分だ。
下のネット3点、バーの上1点なんだが、ネットの3点は入ればでかいがなんせディフェンスもキーパーもいるのでなかなか難しい。だからどうしても上の方を狙いがちになり、センターラインからある程度敵陣に入ると、たいてい1点を取りにかかる。だから本当のゴール前の白熱した攻防というのが案外少なく、見てるほうにとっては少々モノ足りんのだ(といってもアイリッシュたちは燃えまくってたけど)
だからネットの得点を4点か5点にすれば、選手ももっとネットを狙いにきて、試合ももっとエキサイティングなものになるんじゃないかと思ったわけ。ラグビーがトライの点を4点から5点にしたように。どうだろうね、この提案!

カトリック居住区の壁画
ところで今日は市内と郊外を観光した。
北アイルランドは、ざっくり分けるとUK居残り派のプロテスタントとアイルランド全島統一派のカトリックがせめぎあっている(ほんとはそんな単純でもなさそうだけどね)。二年前の和平協議とIRAの停戦宣言以来情勢は安定しているが、町を歩いていると、道はまだまだ長いかも、と思わざるを得ない。
南から北へ入ってまず驚いたのは、やたらと町にユニオンジャックがあふれている事、街頭でも一般家庭の窓にも。イングランドでこういう光景はとんと見なかったから、これはやっぱり一種の縄張り宣言だな。
そしていくつかの地域では,、ここはプロテスタント居住区、ここはカトリック居住区と完全に固まって生活していること。これは歩道の縁石に青白赤の三色マークがしてあればプロテスタント、緑白オレンジの場合はカトリックという風にすぐに識別できる。そしてそれぞれの居住区にはでかでかとプロパガンダ的な壁画や、あちこちに落書きがしてあり、今は平穏だとわかっていても、居住区内を一人で歩いているとけっこう気が張ってくる。
それぞれの居住区で、やたらと子供の数が多いのも不思議だった。ということは、けっこう若い夫婦がすんでるっていうこと?


7月4日 北アイルランド(UK) Belfast / Arnie's Backpackers Hostel (£8.5)

実は今日、やっとタイヤを交換できた。ゴールウェイから数えて3軒目の店だ。この店は、昨日はじめて行ったんだが、行った瞬間ここは大丈夫!と思ったね。最初の対応が全然違う。「どこから来たの?」「ジャパニーズ?旅行?うんうん、そりゃすごいな」 そしてタイヤの話に入っても、俺の次の旅程を聞いてきて、できるだけ早く手配できるように動いてくれてるたのが良くわかった。
 朝電話を入れて、10時過ぎに行くとすでにタイヤは入っていた。交換作業もやってくれると言うんで、ホイールだけ自分で外してあとはまかした。ホントは自分でやって練習したかったんだけど、せっかくやってくれると言ってるし、やっぱり楽な方へ流れてしまった。

ただひとつ失敗は、またも前と同じようなトレールタイヤになってしまったこと。ヨーロッパではほとんどダートを走れないのでもうちょっとオン寄りにしたかったし、またそう伝えたつもりだったんだが俺の説明がまずかったんだろう、BSタイヤのけっこうオフっぽいのになってしまった。かつかなり柔らかいので、走っているとぐにゃぐにゃとなっている感じがする。

そんなこんなで無事タイヤ交換し、試走も兼ねてベルファスト北の海岸沿いをドライブした。なかなか美しい海岸沿いの国道だったが、途中止まって地図を見ていたら、あることを思いついた。今日の朝新聞で、2日前にエストニアの公道レースで命を落としたJoey Dunlopの記事を読んだ時、彼の故郷がこの北アイルランドのBallymoneyという町であることを知り、今地図で確認すると、その町は現在地とそう遠くない、約50キロ先の内陸部にある。せっかくここまで来たんだし、俺が彼の死を他ならぬこの北アイルランドで知ったのも何かの縁かもしれない。これから海沿いに走る予定だったのを、踵を返し山の中へ入っていった。

いくつかの丘のような山、いや山っぽい丘を越え、Joeyの故郷についた時は7時を回っていた。しかしこの時期の欧州はまだまだ日が高い。彼の場所はすぐわかった。町のメイン道路を下って行くと、突き当たりに人だかりが現れる。そこは"Joey's Bar"という彼の店だった。
すでに何人もの別れを惜しむファンと、おびただしい数の花束や写真、メッセージなどが供えられている。俺は全く何にも持ってなく、もっと早く気づくべきだったと後悔したがもう遅い。
せめて気持ちだけでもと思い、手持ちの紙でマン島でYUKKYに教えてもらった鶴を折ってみたのだが、どう織り方を間違えたのか妙に胴長の鶴になってしまった。豪華な花束の中で、胴長の鶴を供えるのを見られるのが恥ずかしく、店の一番隅にそっと置いといた。気持ちがちょっとでも天国へ届けばいいんだけどね。

その後その辺をうろうろしていると、去年ホンダの招待で来日したというケビンというおっちゃんと仲良くなったり、地元のアルスターテレビのインタビューを受けたりして(明日の夕方に放映されるらしい。ボツにならなければ!)けっこう賑やかに過ごしているうちに、ますます弔問者は増えてゆき、行列は100m程にもなってしまった。
そして10時をまわり日が沈みかけても、人の波は途絶えることはなかった。
俺が彼を知ったのはほんの一ヶ月前だが、彼がどれだけ偉大であったかは、この片田舎へはるばるやってくる弔問者の多さと、供えられている心のこもった彼へのメッセ-ジで良くわかる。数え切れぬメッセージの中で、いちばんシンプルで、かつ彼を良く言い表してそうなのはこんなのだった。

   −"As a racing genius, as a humble man"−



7月5日 スコットランド(UK) Newton Stewart / Youth hostel (£9.25)

ケビンの自宅、コンテナ前にて
昨日の晩、Joeyの町からモーターウェイをぶっ飛ばして宿に向かってたら、先刻俺を追い抜いていったケビンが路肩にバイクを停め、俺を手招きしている。俺も止まって聞いてみると、明日何時のフェリーだと訊ねる。昼過ぎだと答えると、「じゃあ朝、私の家に遊びに来ないか?ホンダのコレクションを見せたいんだ」という。かなりタイトなスケジュールとはなりそうだったが、基本的に誘いには乗るタイプの俺はすかさずOKしてしまった。

朝九時、待ち合わせの場所に彼は今度はクルマで来た。なんとホンダの88年式インテグラだ。それも真っ赤。「ボクもインテグラに乗ってたんですよ!」というと、彼は「私は同じのをもう一台買ったんだ。スペアパーツ確保の為にね」驚くべきおっさんだ。
彼は、1950年代、ホンダがマン島TTレースに初登場して以来の熱烈なファン、まさに筋金入りのホンダ・クレージーだ。98年のTTで、彼の出展しているバイクコレクションがホンダのえらいさんの目に留まり、翌年秋(99年)のホンダ・コレクションでも出展する事になったそうだ。ほぼ半世紀近く集めている彼のホンダに関するコレクションは、バイクから広告から写真から多岐に渡り、屋根裏部屋などいたるところに飾られている。

屋根つきガレージの中央には、Joeyの写真と黒旗、そして蝋燭に灯が点されていた。
ガレージ脇の陳列ケース内になぜか日本の線香があったので、「日本ではこれを仏壇の前で焚くよ」と言ったら、「それはいいアイデアだ。ぜひやろう」と言ったので、小さいグラスに鉢植えの土を入れ、線香を刺して火をつけた。俺は手を合わせて拝んだがケビンは手を組んで祈った。
「これを一日一回やれば供養になるよ」と言ったら、「わかった。これからそうするよ。ところでここにも別の線香があるんだがこれはどう使うんだ?」。彼が指差すその先にあったのは線香ではなく手延うどんだった。すかさずあんさんそりゃちゃいまんがなと突っ込みを入れてからこれは食うもんだと説明してやった。
彼が日本から帰国する時、いろんなお土産をもらったけど、いちいち説明を受けなかったようだ。手延うどんは水分を失ってカラカラに干乾びていた。それにしても久しぶりに笑かしてくれたで。こういう文化摩擦は大歓迎だ。

そのあと部屋でいろいろ話をした。バイクの話の時は、ケビンはゆっくりと、わかりやすく話してくれてたんだが、話が北アイルランドの情勢に及ぶにつれて、アイリッシュの彼は興奮気味に早口になり、俺にはわかりづらくなってきた。でもがんばって聴いているうちに時間がどんどん過ぎ、ひと段落ついたところで暇を告げてスコットランド行きフェリーポートへ急行したが結局乗り遅れてしまった。
幸いチケットを買い直さずに次のフェリーに変更できたので、出航までホステルに戻って、他のバックパッカ-たちと馬鹿話なんかして過ごし、夕方にはぬかりなくフェリーに乗ることができた。

北アイルランド。ここは行政的にはUKで、街並みにしても英国的な赤レンガの家々が立ち並び、見かけは驚くほどブリティッシュなんだけど、ちょっと中を覗くと、アイリッシュが住み、ゲーリックフットボールに熱狂し、ケルト音楽があり、ギネスがあり、それは紛れもなく"アイルランド"であった。
 この先国境がどう変更されようとも、また変更されなくても、ここがアイリッシュたちの故郷"EIRE"であることには変わりない。20日間という、あまりにも短い滞在期間、行き逃した所もいっぱいあるが、将来必ず再訪したい。 I miss Ireland!


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