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5月26日 ドイツ Homburg / Youth Hostel Homburg (21.3DM)

「黒い森」を走り抜ける
昼過ぎにアンドレアス宅を発って、日没の9時半頃まで走りたおした。Michel-StadtからWorms、そしてKaiseers-Lauternへ至る国道47号線は、ドイツの森林と美しく手入れされている田園、牧草地の風景が交互に現れ、ここもすばらしいドライブコースである。道路の両脇には真っ赤な小さい花が咲き乱れ、絶景にまさに花を添えている。

キャンプ場をさがしつつ走ってたんだが、うまく見つからずに結局日没になってしまいさらに雨まで降ってきた。これはまずい!と思いその辺に歩いている人に近くにキャンプ場かホテルはないかと聞いたところ、これまた偶然ユースホステルがすぐ近くにあった。

ユースは洋館風の3階建て建物で(あたりまえか)、部屋は30ほどだろうか。オーナー(or管理人?)の家は裏手の別棟にある。不思議な事に客は一人もおらず、俺が洋館を独り占めだ。部屋のドアは開けっ放し、素っ裸で廊下を歩き回れる。しかしこんなにでかい建物にひとりぼっちというのも少々気持ち悪いもので、夜更けになって嵐の気配がしてくるし、なぜか部屋は13号室。ドイツ妖怪などは御免こうむりたいね。




5月27日 ルクセンブルグ Luxembourg / Hotel Italia (2,600LF)

 朝いちで(といっても11時ごろだが)ガソリンスタンドのルブ室を借りてオイル交換。ついでに各部ねじの増し締めもしたんだが、その時にエンジンのところのネジが緩んでいるのを見つけた。ネジをとってみると、メネジの方のねじ山がなくなっている。これではちゃんと締まるはずがないが、今までも特に問題なかったんだから大丈夫だろうと無理やりネジを押し込んでガソリンスタンドを後にした。

流れる雲とともに走る
 1キロほど走ってから道路脇にバイクを停め再確認すると、やっぱりオイルが漏れている。さっきネジを触ったときに完全にイカれてしまったようだ。予備のネジをいろいろ試してみるが、受ける方がイカれてしまったのでうまくいくはずもない。今日はアウトバーンで距離を稼ごうと思っていたんだが、はやくもプラン変更を余儀なくされた。修理してくれそうなところを探しながら下の道をゆっくり走る事にする。と走り出して間もなくYAMAHAの看板を掲げたバイク屋を見つけた。事情を話しバイクを見せると快く引き受けてくれ、バイクをピットに入れて15分ほどで直してくれた。それも完璧に。さすがドイツ職人だ、と感心しながらスペアのオイルフィルターも買って支払いをしようと思った時大切な事に気がついた。金がない!今日ドイツを離れる予定だったから手元にはもう10マルクほどしか残ってなかったのだ。クレジットは効かないというし、近くの銀行に行くしかないなと思い場所を聞いたら、職人は「幾らほどもってるんだ」と聞いてきた。「これだけ」と言いながら小銭をじゃらじゃら出すと、「これでいいよ」と言ってくれるではないか。オイルフィルターだけで12マルクするのに!なんていい店だ!丁寧にお礼を言って店を出るときも大声で「いい旅しなよ!」と送り出してくれた。バイクの関係者というのは日本も外国もいい人が多いねえ。

今日はもう一つ親切を受けた。ルクセンブルグまであと十数キロというところで後ろから一台のバイクが追いかけてきて止まれと言う。なんだと思えば、俺が走っている最中に野球帽を落としたのを後ろで見て、わざわざ拾ってから追いついて手渡してくれたのだ。またまた感謝。それにしても俺はまたバックパックのファスナーを開けたまま走ってしまったいた。いつか痛い目にあいそうだ。

ルクセンブルグに入った。今日はいろいろあって疲れたので、宿もあまり品定めせずチェックインした。ちょっと高かったけどね。ルクセンブルグのことは明日書いてみよう。



5月28日 ベルギー Brussels / Youth Hostel Jacques Brel (520BF)

ベネルクス構成国のひとつであるルクセンブルク大公国は、ドイツ・フランス・ベルギーにはさまれた小さい国(神奈川県と同じぐらい)。小さいとはいえ、アンドラやリヒテンシュタインと違いかなりの工業国らしく、一人あたりGNPは日本とそう変わらない。この生産力を維持するためには、当然自国民だけではまかない切れず、かなりの割合の労働力を外国からの労働者に頼っているらしく、歩いている人々も顔ぶれがバラエティあふれている。

そういうこともあってか、ホテルの名前にやたらと外国の地名が使われている。俺の泊まっているホテル・イタリアもそうだし、少し歩いただけでホテル・パリ、ホテル・アンカラ、ホテル○○と何軒もの外国地名ホテルが軒を連ねている。レストランも外国料理店のオンパレードで、ぶらぶらするだけで結構楽しめるよ。

なんでポケモンてどこでも人気爆発なんだろう?
言葉についても結構面白くて、人々は日常的にはルクセンブルク語を使っているが(俺にはドイツ語と区別がつかない)、店の看板等はフランス語が多く、テレビではドイツ語とルクセンブルク語が多い。旅行者も多いので英語も当然話されている。しかしこういう狭い地域でこれだけ多くの言葉が使われていて不便なことはないのかな?日本人にはわかりにくい感覚かもしれないな。

たまたま600年前から続いているという(ホントかな?屋台のおっちゃんがそう言ってた)キリスト教関係の祭りの最中で、中心部の広場には屋台が建ち並び人々でごった返していた。こういうところに来るとやたらいろんなものが食いたくなる。ハッシュポテトみたいなアゲジャガ40LB*2枚(ニンニクやたまねぎもすり込まれていてとても旨い。)、タイ焼きそば140LB(なんか懐かしい味で、二日連続で食ってしまった)、ステーキハンバーガ-140LB、グラスビール50LB、ワッフルwithクリーム++イチゴ140BFと食いまくってやったぜ。

二時ごろ屋台を後にして、ベルギーの首都ブリュッセルに向かう。なんか今日は死ぬほど寒かった。



5月29日 ベルギー Brussels / Youth Hostel Jacques Brel (520BF)

ブリュッセル市内の住宅群、かなり年代を感じさせる
今泊まっているユースは地下にバックパッカ-バーなるものがあり、毎夜けっこう盛況である。俺も二日連続でビールを引っ掛けに行った。こじんまりしたカウンターといくつかのテーブルの横にはダンシングスペースもあったぞ。だれも踊ってなかったけどね。

このユースには二日間お世話になってるんだが、ユースの都合で部屋替えされた。初日の部屋では宿泊者同士で結構話が盛り上がったんだが、今日の部屋(12人部屋)はなんかやたら静かで活気がない。市内観光から4時ごろ帰ってきたんだが、この時間で既にと言うか未だにと言うか、6人ほどがベッドで眠っていた。まるで病院だ。少したまっていたこのWEBレポートを書くために、部屋の隅にあるテーブルで作業をはじめたんだが、みんなの寝息につられて俺も強烈に眠くなってきて、ついには七人目の眠れる旅人となってしまった。



5月30日イングランド Canterbury / キャンプ場 (6.5P)

ここ数日本当に寒い。かつ今日は一日中雨降りだったので、寒いのが苦手な俺にはかなりつらい一日だった。何回走るのをやめてその辺のホテルにしけこもうかと思ったが、今日中にドーバー海峡を渡っておきたかったので我慢して走る。

フランスのカレーに着いたのは夕方6時ごろ。フェリー乗り場で7時15分のチケットを買い、しばらく待ってそのまま乗船。乗り方はパスポートチェックがある以外は日本とおんなじだが、ただ国際フェリーであるためか値段がやたら高い。たった一時間半の乗船で825フランも取られた。敦賀-小樽間のフェリーと同じぐらいじゃないか。さがせばもっと安いのもあるのだろうか?

ドーバーに到着してフェリーから飛び出す。ついにイギリス上陸だ。といきなり最初に小さな感動が訪れた。車が左を走っているではないか。旅をはじめて2ヶ月、右側通行に慣らされてきたので、久しぶりに左側を走るのはそれだけでけっこう楽しいもんだ。
すでに日が傾きかけていたので、20キロほど走ったカンタブリーのキャンプ場になだれこむ。なんにせよイミグレもキャンプのレセプションもみんなちゃんとした英語をしゃべってくれる。イギリスだからあたりまえの話だがこれもけっこう嬉しいことだ。ちゃんとコミュニケーションが取れるというのは精神的にもとても安定する。今から2ヶ月のイギリス、アイルランドの旅は、リラックスした楽しいものになりそうな予感がした。



5月31日イングランド London / Youth Hostel Earl's Court(21.3P)

Canterburyの公園にて。
朝はCanterburyの町を見て回る。ここの見所はイギリスでも屈指の(とパンフレットに書いてあった)大聖堂(cathedral)だ。といってもCathedralはヨーロッパのある程度の町なら必ずあり、今まで腐るほど見てきたので特に新鮮な感動はない。ただここのステンドグラスに描かれている人物は、カトリック独特の半分寝てるような無表情な顔ではなく、アニメティックににこやかに微笑んでいたのが印象的だった。建築や歴史に疎いとこんな程度の感想しか持てんからね。情けないもんですわ。

昼飯食って、キャンプ場へ帰って荷造りして、今度はロンドンへ急行。このキャンプ場もきれいで静かで緑がいっぱいでなかなか素晴らしい。天気もいいのでもう一泊したいところだが先の予定もあるので切り上げだ。
 
ロンドンに着いた。やっぱりでかい。俺はいつも大きい都市に入る時にはまず町の中心を目指して走る。そこにはたいてい駅があり、銀行があり、ホテルがいっぱいあり、そして必ず観光案内所があり大勢のツーリストがいるからだ。そして今日も同じ感覚で"セントラル・ロンドン"という道路標示に従って走って行ったら、そこはあの「シティ」だった。
 ちょうど夕方で、ビちっとネクタイを締めたすごい数のビジネスマンが群れをなして家路に向かっている。久々にこの人種を見た気がする。少し懐かしかった。そして懐かしく思う自分を奇妙に感じた。
 ともあれ、今の俺にとってシティは町の中心ではない。その辺に座ってハンバーガーを食ってる群れの一人に道を聞き、もう一つのセントラル、テムズ川を越えて西側のビクトリア駅周辺へ踵を返した。



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