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5月1日 ポルトガル Guarda  / Pensao ?? (3,500Pts including breakfast)

ふらふらになりながらも食った今夜の献立
 聖母マリアの幻影が現れたとされるファティマへと向かう。俺のイメージひなびた村のはずれの小さな教会で聖母マリアが涙を流している、というものだったが、実際は大観光地であった(もちろん当時はそうだったのだろうが)。移動途中で荷物も積んでるし、人出もすざまじくとても参拝できる状況じゃなかったので結局何も見ずに退散。

またも雨、そしてかなりの冷え込み。2,3日前から喉がちょっとおかしかったのだが、これで完全に風邪をひいた。宿に入ったときはふらふら、外にでる元気もなかったのでペンションの人に無理やりたのんでパンとオレンジ、ビールを分けてもらい、クノールの即席スープと一緒に腹に流し込んで早速寝た。夜中も体が熱くて仕方がないので水筒を水枕代わりにして頭の上にのせて寝ていたら、夜中12時も過ぎてから汗が出始め、やっと体が少し楽になった。やれやれこれで明日も走れそうだ。



5月2日 スペイン Madrid / Hotel Emperatriz

スペインまで7Km地点の標識
 朝目が覚めたらさらに体が楽になってた。一日で峠を越したのだろうか?十分に休養を摂ったたほうが良いとは思うのだが、こっちのスケジュールもあるしこのGuardaという所はちょっと寒すぎる。幸い今日は晴れ間が見えているので出発だ。走り出しても昨日のような悪寒は走らないし大丈夫だろう。パソコンの次は俺がウイルスにやられてしまった。まあ風邪ぐらいなら大した事はないが・・・

ホテルで友達と待ち合わせ。彼女が休暇を利用してこちらに遊びに来るというので、ついでに壊れたカメラの代替品とアンチウイルスソフト、その他数アイテムを持ってきてもらった。やれやれこれで変なフォームで写真をとらなくて済む。




5月3日 スペイン Madrid / Hotel Emperatriz

スペイン警察の交機かな?
風邪はやっぱり治っていなかった。終日からだが熱っぽく、だるい。何もしないのも味気ないので、午後からソフィア王妃芸術センターへ。ここの目玉はなんといっても「ゲルニカ」。ほかにピカソの中期(?変な絵を画いてる時期)のが何点か、それに現代美術のわけのわからん絵とかオブジェがもりだくさん。頭がボーッとしてるところにこのような異空間に身を置いた為、ちょっと現実からどこかへトリップしたような感覚に襲われなかなか楽しめた。でも疲れた。



5月4日 スペイン Madrid / Hotel Emperatriz

風邪だいぶまし。でも本調子ならず。
 幸い今はこれまでで最高級のホテルに泊まっているのでこれを利用して休養している。
 今日も午後からプラド美術館へ。ここには16〜19世紀のスペインの代表的画家の作品が。ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」も見たよ。
美術好きの人にはヨーロッパの都市巡りはたまらんだろうな。美術館、作品ともその数が半端じゃないね。
中世のはほとんど宗教画なのが残念だが。


5月5日 スペイン(バスク自治州) Donostia / Pension Anorga (3,000Pts)

Donostiaの街並み。ベランダの花が美しい
 マドリッドから北へ約450km、バスク自治州のDonostia(スペイン語名San Sebastian)へ来た。この地域に入ると店の看板や道路標識の言葉が急に変わる。バスク語だ。

バスク地方はピレネー西麓のスペインとフランスにまたがる、バスク語を話す人々の住んでいる地域のこと。バスク語は、どのヨーロッパ言語とも親戚関係がなく、謎の言語らしい。フランコ将軍時代はバスク語の使用を禁じられるほど抑圧されていたが、1980年に自治州の議会が発足し、1998年にはETA(バスク祖国と自由)がテロ活動の中止を宣言したこともあって、町は安定した状態に見える。観光客も多い。

 バスク語ってどんな言葉だろうと想像していたが、町で道を聞いたり、レストランに行っても人の話すのはスペイン語ばかり。調べてみたら、この地域でもバスク語を話す人は25%に過ぎないらしい。明日は市内を観光するので誰かが話してるのを聞けるだろう。



→ 2000年5月6〜10日